雑誌正論掲載論文
中国海洋戦略研究の権威 トシ・ヨシハラ インタビュー 米中関係の歴史的な激変
2018年10月25日 03:00
インタビュアー 文・構成 ジャーナリスト 古森義久 月刊正論11月号
――米中関係はいま歴史的と呼べる大きな変動を迎えているようです。中国の基本戦略がアメリカ主導の国際秩序と根底から対峙し、後退させることだという点が明確となり、アメリカ側も基本政策を変えたといえそうです。ヨシハラさんの専門は中国の南シナ海や東シナ海での海洋戦略ですが、もちろん米中関係全体をもみている。まずトランプ政権の対中政策の現状を説明してくれますか。
ヨシハラ トランプ政権は批判を浴びることも多々ありますが、中国への政策としてはこれまで考えられなかったことを考えられるようにしている。そういえる根本的な変革が起きています。歓迎すべき政策転換です。これまでの常識を変えて、従来のタブーを破る。斬新で大胆な新戦略といえます。中国だけでなくアジア全体への政策はいま強固な形をみせてきました。
トランプ政権の人事面でもアジア関連では豊富な経験と堅固な思考を持つ強力な人材の布陣が進みました。ジョン・ボルトン国家安全保障担当の大統領補佐官、マイク・ポンペオ国務長官、マット・ポッテインジャー国家安全保障会議アジア部長、ランディー・シュライバー国防次官補などが中核です。東アジア太平洋担当の国務次官補はいま空席ですが、候補にはデーブ・スティルウェル元空軍准将、ダン・ブルーメンソール元国防総省中国部長などの名があがっている。いずれも強固な対中政策を主張してきた専門家たちです。
――トランプ政権の新たな対中政策の主要な特徴とはなんですか。
ヨシハラ 中国側がこれまで経験したことのない積極的な対応というのが最大特徴です。貿易面での関税の強化、台湾への対応。台湾旅行法を作るやいなや、トランプ政権のアレックス・ウォン国務次官補代理が台湾を訪れ、蔡英文総統がアメリカを立ち寄りという形で訪問する。米海軍の駆逐艦二隻が台湾海峡を公然と航行する。みな中国が猛反対する動きであり、そんな動きが連続パンチのように発せられたのです。
北朝鮮問題でもトランプ大統領が金正恩氏と直に会談したことが中国の習近平主席を心配させました。その結果、習主席はそれまで北朝鮮に対してなにもしなかったのに、急に動き始めた。これも米側の中国への攻勢の一部といえます。
米側のこうした一連の動きは、これまでいつも最初に攻勢に出てきた中国をついに押し返すことになります。米中関係では長年、中国が最初に新たな動きに出て。アメリカがそれに後から反応するのがパターンでした。それが変わったのです。一例としてはポンペオ国務長官が今年六月四日の天安門事件二十九周年に『中国共産党は事件の完全な公式説明をせねばならない』と言明した。これは天安門事件をアメリカ政府が改めて机上に載せたということです。これまででは考えられない動きです。
中国政府が各国航空会社の公式サイトで台湾を中国の一部として表記するよう求めた件でもトランプ政権は作家ジョージ・オーウェルの描いた監視国家を引き合いにして、『中国の要求はオーウェル流のナンセンス』だと一蹴しました。オバマ政権では考えられなかった対応です」。
――トランプ政権のこうした対応は昨年十二月に発表した国家安全保障戦略での中国観に立脚しているわけですね。この戦略は中国が軍事力や経済力でアメリカ主導のいまの国際秩序を壊し、米側の利益や価値観に反する新たな世界を作ろうとしているという認識を明記していました。
ヨシハラ その通りです。米側はこれまでの中国への期待や規範を改め、流れをこちら側に有利に変え始めたのです。日本での関心の高い東シナ海や南シナ海での中国の動きに対しても、米側は中国の気にする他の領域で反撃することで、勝手は許さないぞという決意を示すことを始めました。その断固たる対応が、中国側をして、海洋問題でもリスクある行動をとることに慎重にならしめます。
習近平氏の計算にインパクトを与えることです。もし南シナ海で新たな膨張をすれば、米側は他の領域でもっと大きな結果をももたらす対抗措置をとるかもしれない。だから慎重になる。さらには膨張はもう止めておく。そう計算させるのが米側の目標です。
――中国の海洋戦略の最新状況はどうでしょうか。
ヨシハラ 中国海軍の増強はなお続いています。国産の航空母艦がすでに試験航行をしています。055型巡洋艦(中国側では駆逐艦と呼称)の連続建造も進んでいます。この艦は世界の巡洋艦のなかでも最大で、米側の最大の巡洋艦タイコンデルガを上回り、最新鋭のミサイル多数を配備しているのが特色です。総合的な艦隊を編成するための手段の一つです。
中国海軍はさらに近海哨戒用の小型軍艦コルベットを大量に建造している。いまでは一ヵ月半に一隻の新造と、全世界的に見ても、第二次世界大戦以来の急ピッチの軍艦建造ペースです。
――コルベットは尖閣諸島のような島嶼や近海での哨戒や軍事の作戦に使われる武装艦艇ですね。
ヨシハラ はい、中国の海洋上の主権防衛作戦のための艦艇です。中国の海洋上の権利や利益を守るための武装艦艇だといえます。尖閣諸島に対してももちろん投入されます。さらにいま緊急に警戒を要するのは南シナ海のスプラットレー諸島での中国の秘密の軍事増強です。中国海軍と中国海警の両方が徐々に、目立たないように、その存在感を高め、活動を進めています。
――南シナ海での中国のこうした軍事膨張の究極の目的とはなんなのでしょうか。
ヨシハラ 中国の狙いはまず低い次元からみると、南シナ海に海軍拠点を確立することでインド洋など他の海域にまで軍事パワーを投射できる戦略的優位を築くことです。中国は南シナ海を自国の前庭とみて、そこでの利益を守るための防衛メカニズムを保つ必要を感じているのでしょう。
米側では軍事作戦の観点からの議論として、南シナ海の中国の軍事施設はいざとなれば米軍の巡航ミサイルで除去できるので、あまり心配する必要はないという主張もあります。
しかし私はその主張は生産的ではないと思う。
スプラットレー諸島の中国軍の存在は軍事作戦上、米側に巨大なコストとなるからです。同諸島は台湾の有事に連結しています。いざ台湾をめぐる米中の衝突が起きた場合、米側はスプラットレー諸島の中国軍基地にもミサイル攻撃をかけねばならない。その分だけ、台湾防衛に必要な巡航ミサイルが減るのです。
――だからスプラットレー諸島の中国の軍事力の強化をこのまま放置してはならない、ということですね。
ヨシハラ はい。中国側も有事にはスプラットレー諸島の防御を強化します。統合された対空防衛、ミサイル防衛が増強される。それを崩すために米軍はきわめて大きな攻撃をかけねばならない。その結果として米軍側の犠牲も大きくなりかねない。その分、台湾防衛にとってマイナスとなります。
――中国の南シナ海制覇という可能性のより高い次元の問題とはなんでしょうか。
ヨシハラ 中国が南シナ海の事実上の制圧により、この地域全体を威圧することです。
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■ トシ・ヨシハラ氏 ジョージタウン大学、ジョンズホプキンス大学大学院を経てタフツ大学で中国研究の博士号を取得、中国の戦略研究を主体としてアジア太平洋の安全保障全般をも専門とする。米海軍大学校の教授、同校付属の中国海洋研究所の主任研究員を2017年まで10年余、務めた。現在はワシントンの大手シンタンク「戦略予算評価センター」上級研究員。
■ 古森義久氏 昭和16年生まれ。慶応大学卒業。毎日新聞社などを経て現在、産経新聞ワシントン駐在客員特派員。