雑誌正論掲載論文

日本の元祖ポピュリストの劣化 その功罪と大衆の反逆

2018年07月15日 03:00

皇學館大学准教授 遠藤司 月刊正論8月号

 政治家には、政治家たる資質が必要である。たんに選挙に勝つための手法を熟知しているばかりでなく、ものごとの善悪を分別し、よくよく考えをめぐらした結果、とるべき行動や態度を判断することのできる実践的な能力が必要である。アリストテレスや、保守主義の父エドマンド・バークは、このような統治に関する実践的な能力を、政治的思慮と呼んでいる。

 トランプ政権が生まれたことによって、世界的にポピュリズムが注目されている。ポピュリズムとは、理知的に行動する限られた数の人びとよりも、感情に従って行動する多くの大衆の支持を求める政治的手法あるいは運動のことである。大衆は、自己利益を求めてさまよう。したがって、不安や恐怖から逃れるために行動する。

 ポピュリズムの立場をとる人、ポピュリストは、そのような大衆の性向を利用し、彼らの耳心地のよい言葉をくり返し唱えることで、大衆を一定の方向へと誘う。それが善なる目的に向けてなされれば、たしかに国民には恵みがもたらされよう。しかし、悪の道へと引きずり込むものであれば、国民は集団自殺に陥ることになる。そして、誰しもが認めるように、間違いを犯さない人などいない。かくしてポピュリストは、その卓越した政治的手法によって、いずれ国家を破滅へと追いやるのである。

 本稿は、小泉純一郎元首相(以下、小泉)の名を汚すことを目的としたものではない。ここでは、小泉のとったポピュリズムの姿勢に注目し、その政治的手法ないし風潮にともなう危険を論じることにしたい。結論を言えば、ひとたびポピュリズムが定着すれば、国家の崩壊を招く危険が生じることになる。

 小泉純一郎は、わが国における代表的なポピュリストである。もともとポピュリズムは、政治的義務を果たす市民としての民衆、ラテン語の populus の意思を尊重する姿勢を意味していた。国家の担い手が、民衆から大衆へと移り変わっていくにつれて、彼ら大衆の人気取りをし、あるいは操作し、支持を集める政治的手法が発達していった。これらを身に着け、積極的に用いる者を、現在ではポピュリストと呼ぶことになっている。

 大衆を意味する mass という言葉が、本来的には「大きなかたまり」を意味することは注目に値する。ホセ・オルテガ・イ・ガセットは『大衆の反逆』のなかで、大衆のもつ基本的な性格について述べている。まずもって、大衆には「中身」がない。頑として他人のものとなることを拒否する精神が、取り消すことのできない自我が、欠如している。そのため彼らは、つねに何ものかであることを装おうと、待ち構えた状態に置かれている。大衆は、ただ欲求のみをもち、自分には権利だけがあると考え、義務をもつなどとは考えもしない。民衆とは異なり、義務を全うすることで自分自身になろうとする、心の働きがないのである。

「大衆とは善きにつけ悪しきにつけ、特別な理由から自分に価値を見出すことなく、自分を『すべての人』と同じだと感じ、しかもそのことに苦痛を感じないで、自分が他人と同じであることに喜びを感じるすべての人びとのことである」

 そのような大衆の判断基準は、善か悪かではなく、自己利益が得られるか否かである。大衆は、よそから利益を得ることが、自身のもつ侵すべからざる権利だと考えている。しかしオルテガの言うように、大衆は安楽な生を与えてくれた一切のものに対し、恩を感じることはない。あたかも「甘やかされた子供」のように、自らの欲望には何の制限もなく、すべてが許されており、自分より優れた人間などいないと考えるのである。あるいは「自分よりもすぐれた他人がいるという実感を抱くのは、彼よりも強い人間が強引に彼の欲望を断念させ、分を守り、引っこんでいるようにさせることができたときだけだろう」。かくして大衆は、ひとたび自己の利益の実現に向けて先頭に立つ者の存在を認めたときには、彼に盲従するようになるのである。

 したがってポピュリストたちは、大衆の支持を得るために、物事を単純化して語る。彼らの不利益の原因はこれだと決めつけ、自らこそはそれを打ち破る者だと、高らかに宣言するのである。大衆は、政策の妥当性よりも、それを宣言した者の強い姿勢を重視する。自我の欠如した自身に代わる強い自我を、他者に求めるからである。

 ポピュリストは、大衆の代表である。ゆえにまたポピュリストは、大衆に迎合することを政治的判断の基準とする。選挙で選ばれた善意ある少数者(つまり議会)を通じた間接的なデモクラシーが議会制民主主義だが、ポピュリストは、間接民主制からの逸脱を志向する。善意ある少数者の意見は、大衆の求めるものとは異なるかもしれない。かくしてポピュリストは、アレクシス・ド・トクヴィルのいう「多数者の専制」に至る。大衆という「多数者」の名におけるポピュリストの支配が、正当化されることになるのである。

 一九九四年、自民党は、こともあろうか日本社会党委員長であった村山富市を、内閣総理大臣指名選挙で支持した。立役者の一人は、あの野中広務である。自社さ連立政権によって、自民党は政権に復帰した。そこには思想もなにもあったものではなかった。のちに社会党の分裂と、民主党の結成による革新勢力の弱体化に伴い、自民党は勢力を回復する。しかし、橋本、小渕、森と続く自民党政権は、国民を満足させることはできなかった。

 そのような混沌の状態から、ポピュリストは生まれる。

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■ 遠藤司氏 昭和56(1981)年生まれ。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了(政治学修士)。富士ゼロックス、ガートナーを経て現在、皇學館大学現代日本社会学部准教授。専門はイノベーション・マネジメント。著書に『正統のドラッカー』二巻など。