雑誌正論掲載論文

フランスとスウェーデンが徴兵制を復活させる理由

2018年03月05日 03:00

産経新聞パリ支局長 三井美奈 月刊正論4月号

 欧州で徴兵制復活の動きが相次いでいる。ロシアの軍事的野心や、イスラム過激派テロという東西冷戦後の「新たな危機」に対応するためだ。フランスのマクロン大統領は1月、「徴兵制の復活」を発表した。スウェーデンは今年、4千人を招集する。いずれも男女平等や福祉重視の「リベラル国家」。そうした国々が国民総動員の安全保障を目指すのはなぜなのか。

 英国とフランスを隔てる英仏海峡は古来、数多くの海戦の舞台になった。第二次世界大戦を描いた昨年のヒット映画「ダンケルク」の大脱出作戦が展開されたことでも知られる。そこを近年、ロシア海軍編隊が頻繁に航行している。昨年だけで少なくとも5回。年明けにはツポレフ爆撃機が随伴し、英軍が緊急発進で領空侵入を阻止する事態になった。

 ロシア艦隊はここから地中海経由で内戦が続くシリアへと向かう。大西洋から地中海へと、フランスをぐるりと回る航路だ。

 マクロン仏大統領の「徴兵制復活」宣言は、仏軍幹部への年頭訓示で公となった。場所は、地中海艦隊の母港トゥーロン海軍基地。英雄ナポレオンが王党派を打破し、名をあげた地でもある。2年前にはここから数百キロ沖をロシア軍空母クズネツォフが航行した。フランスは、ロシア軍による侵攻を恐れているわけではないが、プーチン政権の好戦的な動きが西欧における徴兵制論議の底流にあるのは間違いない。

 マクロン大統領は「フランスは新たな危機に直面している」と訴えた。その筆頭はイスラム過激派のテロだ。仏軍がシリアやアフリカ中部で展開しているテロ掃討作戦の重要性を主張し、「現在ある脅威は、明日の戦争につながる。受け身でいては敗北につながる」と危機感を示した。「私は強いフランスを望む。自国の運命を決められる国家だ」とも述べた。

 その象徴である徴兵制の復活は、昨年春の大統領選の公約だった。18~21歳の男女に約1カ月間、軍隊生活を経験させる計画で、毎年約60万人の参加を見込んだ。当時、マクロン氏は「危機に際して軍を補佐する予備役を確保できる。軍や関連産業の人材育成にもなる」と説明した。

 フランスは、近代的徴兵制を生んだ国である。1798年、革命政府が「すべての国民は兵士であり、祖国防衛の義務を負う」ことを法で定め、20歳以上の男子に兵役義務を課した。ナポレオンが100万人超の大軍を率いて欧州を制覇できたのは、徴兵制に支えられた大量動員のおかげだ。「自由と平等」の革命理念を掲げる国民軍はまさに国家統合のシンボルであり、「フランスの栄光」に直結する。マクロン大統領の言う「強い国家」の原点だ。

 徴兵制は1996年、保守派のシラク大統領が廃止を決めた。東西冷戦の終結でソ連が消滅し、侵略戦争に備えた兵員の大量動員の必要はなくなったからだ。国軍は旧ユーゴスラビア、アフリカの紛争など「遠くの危機」に緊急介入できるプロ軍団への脱皮を目指した。2001年の政令で徴兵廃止が公布され、代わりに18歳以下の若者が軍人と接し、国防について学ぶ「市民の日」を設け、参加を義務付けた。

 欧州では東西冷戦後、フランスだけではなく、ベルギーやオランダ、スペイン、イタリア、ドイツなど北大西洋条約機構(NATO)の加盟国が相次いで徴兵制を廃止した。米国主導のNATOという傘の下、「不戦欧州」を実現した楽観論が広がった時代だった。

 その風向きが4年前、大きく変わった。2014年、ロシアはウクライナ領のクリミア半島を併合し、旧ソ連圏の中東欧、バルト諸国を震撼させた。さらにフランスでは、国民が日常生活で脅威と向き合う事件が相次いだ。2015年の1月と11月に発生したイスラム過激派によるテロだ。

 1月の事件では、パリの風刺週刊紙シャルリー・エブド本社がイスラム過激派の兄弟に襲撃され、一連のテロで17人が死亡した。11月はさらに増えた。パリの劇場やレストランが銃撃や自爆テロの標的となり、130人が死亡。翌年7月の革命記念日には、南仏ニースで花火見物客の人混みにトラックが突っ込み、86人が犠牲になった。

 約1年半で死者は230人以上。これはテロ事件と言うより、戦争に近かった。フランス軍はイラク、シリアで過激派「イスラム国」(IS)空爆に参加、テロ組織から「交戦国」へと認識を改めるようになった。さらに政府はテロ警戒で、国内に1万人の軍・警察を動員。人手不足を補うため、17~50歳の志願兵・予備役の招集を決めた。昨年までに7万人が集まり、1人が年平均1カ月間、街頭警備にあたる。駅や繁華街では小銃を構えた兵士が巡回するようになり、15年11月のテロ後に発令された「非常事態」は4度延長された。

 そんな空気の中、政界では左右を問わず、徴兵制復活の是非論が活発になった。昨年春の大統領選では決選投票に進んだ上位2候補、マクロン氏と極右「国民戦線」のルペン党首が共に徴兵制復活を公約に掲げた。

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■ 三井美奈氏 昭和42(1967)年生まれ。一橋大卒。読売新聞エルサレム支局長、パリ支局長などを歴任。平成28(2016)年、産経新聞に入社、昨年10月からパリ支局長を務める。著書に『イスラム化するヨーロッパ』 (新潮新書)など。