雑誌正論掲載論文

シリーズ対談 日本が好き! 英霊に対する私の熱き思い

2017年11月25日 03:00

高須クリニック院長 高須克弥 × ジャーナリスト 井上和彦 月刊正論12月号

 井上和彦氏 今回は高須クリニック院長、高須克弥さんをお迎えしました。宜しくお願いします。それではまず、高須院長が医師になられた背景についてお話しいただけますでしょうか?

 高須克弥氏 はい。高須家のルーツは愛知県の三河にありまして、明治になって医師が免許制になる以前から従来医として代々医者を営んでおりました。徳川家康公が伊賀越えをして三河に逃げてきたさいも、岡崎城に行くまでの間、わが家にとどまってしばらく様子を見たという記録が残っているんです。家康公はそのさい、わが家にあったヒシの実にあたってしまってお腹を壊したそうで、その治療をやったのも高須家だったと記録にあります。治られた家康公はすごく喜ばれたそうですよ。

 井上氏 高須家は、そんな時代から代々お医者さんの家系だったんですね。

 高須氏 そうなんです。わが家の記録だけでなく、地元、一色町の町史―今は西尾市に合併してしまって消滅してしまいましたが―にも記録がしっかり残っているんですよ。

 代々、医者を営んでいたのは男だったんですが、私が生まれるまで、高須家には百年間ほど男が産まれない時代がありました。祖母は開業医の夫と結婚し、二人で切り盛りしていたそうですし、次の代も隣村の開業医を婿に迎えて医院を営んでいたそうで、それが私の父だったんですね。僕は高須家に百年ぶりに授かった男でしたから問答無用で家業を支えることになったわけですが、嫁はやはり医者でしたし、私の息子夫婦もどちらも医者ですから、今実は四代医者夫婦が続いています。

 井上氏 家族全員医師ですか? 

 医師の家系として古くから続いているだけでなく全員医師というのも凄い話ですね。日本のお医者さんって地元に根付いて地域を支える本当に優秀な方々が多いですからね。いざという時にどう処置したらいいか、どんな薬を出せばいいか、どんなことにもおおむね基本的な対応を誰もが身につけているでしょう。日本の開業医ってホントに凄いと思っておりますが、高須先生はそうした重責を長年果たされている家に生まれ育ったというわけですね。

 高須氏 そう。町医者を営むというのは大変なことで、田舎だと自分の専攻分野以外でも、急患ならとにかく面倒見なければいけないでしょう。特に小児科などは田舎だとみんな出来ないといけないし、昔の開業医って本当に今よりも臨機応変に働いていましたね。  井上氏 そういう家に生まれ育って高須院長も幼いころからお医者さんになることを志して勉学に励んでこられたわけですか?

 高須氏 なりたいとか、なりたくないという選択はまずなかったですよね。もはや家業みたいになっているでしょう。みんな医者になると決まっていましたからね。それに私は百年ぶりに生まれた男でしたから、もう逃げ場がないんですよ。ホントは私、漫画家になりたくて漫画ばっかり描いていた時期があったのですが…。

 井上氏 では院長が美容整形の道を選ばれたことには、どんな理由がおありだったんですか?

 高須氏 はい。当時は大学紛争の影響もあってインターンなしで医師になれたんです。医学博士にも随分早くなれましたし、大学院の2年目には医学博士の論文も出来ていましたから時間も存分にあった。それでドイツのキール大学に留学したことがあったんです。ドイツの医学界って実に開明的で、顔面を変えて色々な人種の顔を作る、といったそれまで見たこともないような研究を目の当たりにする機会に恵まれたんです。刺激的でしたね。当時の日本の美容整形と比べると桁違いに超越していたんですよ。骨をいじって顔貌を変える、顔の形を変えるなんて当時の日本では全く考えられない話でしたから、私は一念発起してこうしたドイツの流儀を整形外科に生かそうと決意して日本で病院を開いたんです。

 それまでの日本の整形外科というのは例えば骨が折れたら、ギプスを巻いて骨がくっつくまでそっとしておくでしょう。でも、つながるまで固定してしまうから筋肉が固まってしまう、だから矯正マッサージを時間をかけて施すというのが一般的な治療の流れでした。ギプスが取れるまで入院させますから、3カ月ぐらい要するのですが、ドイツで学んだやり方はそうではなかった。骨折した骨をいきなりプレートで固定して、髄内釘入れて、すぐ動かしてやるんです。そうすればギプスも要らないし、リハビリも要らない。そういう最先端の技術を日本で広めるための病院をつくって手術を盛んにやりました。ところが、これでは病院経営がうまくいかなくなってしまうんですよ。

 井上氏 その同じような話を、以前、「日本が好き」に出て下さった俳優の藤巻潤さんからうかがったことがありますね。そういうノウハウはあるが、ペイしないんだそうですね。

 高須氏 そうなんです。交通事故でフロントガラスに顔を突っ込んで顔が傷だらけになった―なんて悲惨な事故の治療の場合、傷を時間をかけて細い糸で丁寧に縫ってやれば、きれいに治るんです。しかし、傷が残らないから、補償金すら下りなくなってしまう。治療には手間暇掛かるが、ペイしないし、日本の保険は耐えられないぐらい安いんです。ただ、治療のニーズはあって次々舞い込んでくるものですから、どうするか、と悩みましたね。そこでこうした治療は自由診療でやろうと決意したんです。高須病院では昔ながらの治療をやり、高須クリニックでは切り離して最先端の治療をやる。そうすると、美容整形の話がいっぱい舞い込んで来るようになってきたというわけで、私はいつの間にか美容整形の医者となったというわけです。

 井上氏 高須院長がテレビで活躍されるきっかけはどのような経緯だったのですか。

 高須氏 高須クリニックをつくる前の話なのですが、巷にいい加減な健康法ばかりが蔓延していたことがありました。私はそうしたまがいものの健康法を告発した『危ない健康法』というタイトルの本を出したんです。

続きは正論12月号でお読みください

■ 高須克弥氏 昭和20(1945)年、愛知県出身。昭和大学医学部を卒業後、高須病院、高須クリニックを開設し、美容医学、美容整形の第一人者として知られる。国際美容外科学会会長および日本美容外科学会会長も務めた。

■ 井上和彦氏 昭和38(1963)年、滋賀県生まれ。法政大学社会学部卒業。軍事・安全保障・外交問題などをテーマにテレビ番組のコメンテーターを務める。軍事漫談家。著書に『日本が戦ってくれて感謝しています』(1・2巻とも産経新聞出版)など多数。