雑誌正論掲載論文

なぜ日本国民は核をタブー視してきたか

2017年11月05日 03:00

文芸評論家 富岡幸一郎 月刊正論12月号

 北朝鮮の核・ミサイル開発は、北東アジアのみならず世界の勢力地図を大きく塗り替えつつある。朝鮮半島有事の可能性が現在高まっており、戦後七十余年アメリカに守ってもらうことで「平和」を謳歌してきた日本人は、迫りつつある未曽有の危機にどう対処できるのか。米軍の北朝鮮に対する軍事行動が起これば、国民もアメリカに任せておけばよいという奴隷根性にしがみついているわけにはいかないだろう。「非核三原則」は、いうまでもなく「持たず、作らず、持ち込ませず」であったが、「持ち込ませず」は横須賀や佐世保に米国の原子力空母が寄港しているのを考えれば、嘘話であるのは明らかだ。「核の傘」ということすらも、実際には日本の防衛のためにアメリカが核攻撃をすることなどあり得ないのであれば、これも儚い幻想である。

 となれば、日本人は自国を守るために核武装の可能性について真剣な議論をすべきときにきているが、世論調査ではミサイル防衛を強化すべきとの意見は六八%、ミサイルの発射元をたたく敵基地攻撃能力を保有すべきは五三・八%になっているにもかかわらず、核兵器を保有すべきか否かは、反対が七九・一%である(産経新聞社・FNN合同世論調査「産経新聞」九月十九日)。

 核兵器に対するアレルギーは広島・長崎を体験した被爆国であるからという議論は、端的にいってまやかしである。米国の核兵器を我が国は持ち込ませており、戦後の冷戦下においては「核の傘」を一応は信頼することで、事実上の(依存的な)核武装をしていたからである。

 それでもなお、核武装論に対する議論をタブー視しているのは、戦後の日本人の文化・精神論にまで議論を深めなければ、その根本的な要因は明らかにならないのだろう。それには大東亜戦争の敗戦まで遡らなければならない。

 それを考えるとき、私は二十年程前にイスラエルを旅したときの光景をいまでも思い起こす。荒涼たる死海のほとりにあるひとつの歴史的な象徴としての岩山に立ったときのことである。紀元七〇年、ローマ帝国の支配に反乱を起こしたユダヤ人はエルサレム陥落の後、このマサダの砦で最後まで滅びを覚悟して戦った。エリエゼル・ベン・ヤイールに率いられた熱心党員の抵抗は二年以上も続き、要塞を取り囲んだローマ軍の兵士の数は一万人ともいわれ、最後には九六七人のうち女子七人を除き全員が自決する。ヨセフスの『ユダヤ戦記』に記されるこのユダヤ人の戦いは、以後二千年にわたる離散の民としてのユダヤ民族の困難な歴史のはじまりであったが、第二次大戦後に近代イスラエル国家を再建したユダヤ人は、以来「ノーモアマサダ」を語り継いできた。イスラエル軍の入隊式は、今日もここで行われ、式の最後には「マサダは二度と陥落させない」という言葉で締めくくられる。

 大東亜戦争の敗北以降に、日本人は「ノーモアヒロシマ」を繰り返し語ってきたが、あの戦争は悪い戦争であり、もう二度と戦争はしませんとはいっても、二度とは「敗北」しませんなどと語ることもなければ、そのようなことを思うことすらしてこなかった。「平和憲法」によって日本は七十余年もの間、「戦争をすることも、戦争に巻き込まれることもなかった」という奇妙な倒錯した自己欺瞞をでっちあげてきたのである。日本国憲法の序文が、「安全と生存」を第一義としてうたい、「自立と自尊」という言葉を全く欠いているのは、対米依存を政府も国民も最優先させてきたことの証文である。

 北朝鮮の「核化」が金王朝の保持のためであるのは明らかだが、少なくとも北朝鮮は核兵器を所有することで国家としての自立と独立を確保しつつある。侵略の意図と準備(朝鮮半島を支配)をすることと同時に、核の戦争抑止力という両面を確立する目標に向かっているのである。日本はこれに比べれば独立国家としての戦略も目標も自らの意思で立てることをしてこなかった。それを欺瞞といわず何というべきだろうか。

 ドイツを代表する歴史家フリードリッヒ・マイネッケは、『近代史における国家理性の理念』(一九二四年)において、国益(ナショナル・インタレスト)の概念の根本に国家理性(シュターツレーゾン)という言葉を置いた。そして、為政者は自国の利益を自己の個人的欲望のためではなく、人民の安寧を守ること、国益を追求するためにあらゆる努力を払うことを使命としているといった。

《国家理性とは、国家行動の基本原則、国家の運動法則である。それは、政治家に、国家を健全に力強く維持するためにかれがなさねばならぬことを告げる。また、国家は一つの有機的組織体であり、しかもその有機体の充実した力は、なんらかの方法でさらに発展することができるばあいにのみ維持されるがゆえに、国家理性は、この発展の進路と目標をも指示する。》(『世界の名著65』岸田達也訳、中央公論社)

 興味深いのは、マイネッケはこの「国家理性」の発展の要素として、力と道徳とをあげていることである。つまり権力衝動による行動と道徳的責任による行動のあいだには、国益という価値によって、その高所に一つの橋がかけられているというのである。パワーとモラルの、この緊密な関係を理解しなければ、政治家は真の意味で「国家を健全に力強く維持する」ことはできない。

 これは政治家の問題だけではもちろんない。国民もまた、「力と道徳」の架橋のもとに国家の民としての自覚とアイデンティティを得るのである。日本は高度経済成長によって敗戦から立ち直ったといわれてきたが、それは国としての一面であり、国家理性の観点からいえば復興神話こそがまやかしであった。文化国家などということがいわれはしたが、その「文化」とは真に民族の創造的な力とは無縁な商業国家の指標のようなものでしかなかった。

 戦後二十五年、四半世紀目に作家の三島由紀夫がその死を賭して憲法九条の改正を訴えたのも、「力」を自らの精神の糧としなくなった日本人のモラルハザードの現実を改めよ、ということであった。

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■ 富岡幸一郎氏 昭和32(1957)年生まれ。中央大学文学部卒業。在学中に「意識の暗室」で『群像』新人文学賞優秀作受賞、評論活動を開始。現在、関東学院大学教授。雑誌「表現者」編集長。近著に『虚妄の「戦後」』(論創社)。