雑誌正論掲載論文
ウソ慰安婦謝罪碑の書き換えで拘束 奥茂治氏が激白 韓国警察との闘いの全て
2017年08月15日 03:00
産経新聞ソウル支局記者 桜井紀雄 月刊正論9月号
韓国で6月に一時拘束された元自衛官の出国禁止措置が7月20日現在も続いている。朝日新聞の記事取り消しで女性らの強制連行の偽証が確定した故吉田清治氏が韓国の国立墓地に建立した謝罪碑を、吉田氏の長男の委任で書き換えた奥茂治氏(69)だ。拘束されることを知りながら、奥氏はなぜ、再び韓国の地に降り立ったのか。
韓国中部、天安市の喫茶店で7月10日、奥氏が韓国に来る機内で、携帯電話のカメラで撮ったという写真を見せてくれた。入国カードを写したもので、入国目的欄には、自筆でこう記していた。
「天安西北警察出頭」
韓国警察の出頭要請に応じ、拘束も覚悟して日本を離れた思いを込めたものだ。
6月24日午後、那覇から韓国・仁川国際空港に向かう機内で、客室乗務員に「一番先に降りてください」と促され、到着直後に待ち構えていた警察官に手錠をかけられた。容疑は公用物損壊と不法侵入だと告げられ、天安西北署に連行された。
「拘束されると思って、来たのですか」。取り調べでは、こう尋ねられ、「分かって、来ました」と答えた。
韓国に入国さえしなければ、拘束されることもない〝軽微な〟事案だ。取調官らは、それでもあえて出頭した奥氏の潔さに驚き、「勇気に敬服している」と伝えたという。翌日未明には拘束を解かれるが、警察が早く拘束を解こうと、手続きを急ぐ姿勢が見受けられたという。
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奥氏は約15年間にわたって慰安婦問題を調査・研究してきた。慰安婦問題がここまで日韓関係をこじらせたのは、自ら「強制連行を実行、指揮した」という吉田清治氏の噓の告白に〝諸悪の根源〟があるとの思いを強くした。
調査を進めるうち、腹を割って話せるようになった吉田氏の長男からは、ソウルの日本大使館前の慰安婦像を「撤去してしまいたい」と打ち明けられた。父親の偽証が日韓対立の根深いところでくすぶり続けることに苦悩してきた様子が浮かぶ。
像の撤去はさすがにかなわず、2人が思いついたのが、吉田氏が1983(昭和58)年に著書の印税を使って強制連行の謝罪文を刻み、天安市の国立墓地「望郷の丘」に建立した碑の撤去だった。父個人が設置したものなら、相続者である息子が撤去することもできると考えた。
奥氏は何度か現場を下見し、礎石に固定された碑石を自力で撤去するのは無理だと諦め、碑文の上に新しい石板を貼り付ける方法を取った。3枚に分けた石板を用意し、3月20日夜、作業を決行した。1枚約35キロある石板を広大な墓地の頂きまで1人で運び込み、作業が終わったときには翌日午前3時半になっていた。
新しい石板には、吉田氏の本名と出身地、「慰霊碑」とだけ刻まれていた。
帰国後の4月、国立墓地の管理事務所宛てに、書き換えを行った事実を〝事後通知〟する手紙を送った。吉田氏が強制連行に携わった事実はなく、「虚偽を刻んだ謝罪碑を放置することは、親族の恥であり、日韓友好を妨げる負の遺産だ」と理由を記し、吉田氏の長男の実名や奥氏の連絡先も書き添えた。手紙を元に、出頭を求める電話が警察からかかってきた。
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