雑誌正論掲載論文
渡部昇一追悼特集 先生との知的生活を偲んで
2017年06月25日 03:00
麗澤大学学長 中山理 月刊正論7月号
私が最後に渡部昇一先生にお会いしたのは、二〇一六年七月一〇日だった。
東京・吉祥寺にある第一ホテルの一室を借りて午後から対談をし、
その後で夕食を共にするためである。対談のテーマは周の古典『易経』で、その日は、五月二十二日に行った一回目の対談の続きをする段取りになっていた。
知の巨人である渡部先生との対談では、普通、このようなミーティングを二回もこなせば、単行本が一冊できあがる。もちろん、その前には、各自で原典の『易経』を精読し、その中から「これぞ名文」と思う一節をいくつか見つけておかねばならないが、これがまた互いに古典を熟読玩味できる、実に楽しい準備作業なのだ。
この種の対談では、会食とセットになっているのがミソである。フランス洋菓子の名称にもなった美食家のブリア・サヴァランが『美味礼賛』で「教養のある人にして初めて食べ方を知る」と述べているように、食卓を囲みながら知的な対話を大いに楽しむというのが、渡部先生流の「食べ方」であった。この種の、そして時として対談の延長ともなる食卓は、「食卓の快楽」以上に、私たちの心が通い合う歓談の空間でもあったのだ。
このような食事会は、もちろん、対談の機会だけに限らない。私たちの共著の出版社、祥伝社の角田勉氏を交えての新書の企画を練るミーティングや、麗澤大学の母体である学校法人廣池学園の廣池幹堂理事長が主催する渡部先生を囲む談話会も、ここ数年続いた、年に一度の恒例行事だった。どの会でも、美酒と美食を堪能しながら、話に花を咲かせる渡部先生のお姿があり、その博覧強記ぶりと健啖ぶりには感銘さえ覚えたものだった。
ところが、先ほどの最後の対談後の会食では、中華料理のフルコースが用意されたにもかかわらず、
先生は小さな容器に入ったスープしか召し上がらなかった。これには、ほんとに驚いた。その日の先生は、いつものように四時間を超える長丁場の対談を精力的にこなされていたから、私も問題はてっきり腕の骨折だけだろうと高をくくっていただけに、なおさら衝撃を覚えたのである。
ご自身は「腕を骨折したときに治癒力を高めるには、食べないことです」とおっしゃっていたので、これも先生流の治療法かと妙に納得し、ご体調のことは心配だったけれども、とりあえず次回の対談の企画とテーマを決めることになった。
「渡部先生、今度は何の対談にしましょうか。『論語』とかどうでしょう。」
「いや、それは、中山先生のようにまだ若い人(すでに還暦はすぎているが)に任せるとして、日本の古典、あるいは準古典のようなものでもいいなあ。」
「それじゃ『古事記』か『日本書紀』あたりではどうでしょう。」
「それは面白そうだ。じゃいつもの手順で、また来年にね」
これが先生と交わした最後の会話になるとは、誰が想像できたであろうか。
私と渡部先生との出会いは、今から約四〇年前の一九七六年、麗澤大学卒業後、上智大学大学院で英米文学を専攻した時にまで遡る。先生は、イギリスの詩人、ジョン・ミルトンをテーマとした私の修士論文の審査員のお一人だった。また私の麗澤大学時代の恩師の一人である故割石虎雄先生が、上智大学で渡部先生と同期生だったこともあり、当時から、出会いのご縁のようなものを感じていた。
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■ 中山理氏 昭和27(1952)年生まれ。麗澤大学外国語学部イギリス語学科卒業。上智大学大学院文学研究科英米文学専攻博士後期課程修了。文学博士(上智大学)。麗澤大学教授、外国語学部長などを経て現職。著書、訳書多数。