雑誌正論掲載論文
トランプを生んだカントリー音楽のアメリカ
2017年05月25日 03:00
音楽評論家 杉原志啓 月刊正論6月号
ヒラリー・クリントン――どちらかというと好きなタイプのアメリカン・レディだ。たとえばトラディショナルな風情なんだが、どことなくヒップなところが(ちなみに、彼女がエール大学法科大学院時代に流行のこの言葉は、いまでいう“クール”と異なるニュアンスを含意する)。
ただ、かつてわたしは、ヒラリーがトランプならぬバラク・オバマと同じポストを争っていたころ書いたことがある。男でも女でもヒップな輩には気をつけたほうがよい。ヒップなことをいう連中に限って、たいてい彼女みたいにエリートだし、おのれの安全地帯はちゃんと確保したうえで結構なコメントをまくしたてる。たとえていえば、高給を食むどこかの国の進歩的大新聞の連中が、貧しく愚昧とみなす大衆へヒップな言説を乱発するパターンのようにと。
それにまた、あとでふれるつもりだが、ヒラリーには音楽がらみでやっぱりというか、ケッとおもわせることもあったのだ。
ところで、そもそもジャズ用語だったヒップから派生したその種の花形をいう「ヒップスター」について、一九五七年、ハーバード大学出の純文学作家、ノーマン・メイラーがはやくも「ホワイト・ニグロ(白い黒人)」というエッセイでその内実を暴いている。アメリカの大衆音楽研究でよく引かれるこのヒップな「ホワイト・ニグロ」、ジョセフ・ヒースとアンドルー・ポターの「カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか」という副題をもつ『反逆の精神』も、「反論しがたい」というそのメイラーの定義として、相対するスクエアと対比した上の対照表を掲げている(この対比項目はもっと多いんだが、ついでにわたしなりのリストも下段にそえておこう)。
ところでまた、ヒラリー・クリントンが(旦那のビルもだが)、ヒップから派生したもうひとつの言葉「ヒッピー」の世代――つまり、やがてヒッピーならぬヤッピーへ転じて、マリファナをBMWと交換して身売りした階層に属するのはいうまでもない。そのことで、やはり『反逆の精神』は、ひとりのグランジ・アーティストを引いて、とても分かりやすいこんな音楽の事例をあげてもいる。
ニルヴァーナのカート・コバーンのおかげで、かつてはパンクの「ハードコア」と呼ばれた音楽が「グランジ」と看板をかけ替えて大衆に売られた。この人気はコバーンにとって困惑のもとだった。自分はオルタナティブを裏切ってメインストリームになってしまったという疑いが脳裡につきまとったのである。結局コバーンは、売れに売れて、「本物」でありつづけるために散弾銃で自殺した。そうやって「パンク・ロックこそ自由」というおのれの信念を堅持することができた(かれは、音楽にはオルタナティブもメインストリームもない、ただ音楽を創造する人間と聞く人間がいるだけとは思わなかった。素晴らしい音楽を創れば人は聴きたがるものだとは考えなかったのである)。
では、「オルタナティブ」という発想はどこから生じたのか? いわば本物であるために売れ過ぎはよろしくないという、この発想の源は何なのか。コバーンはかれの言い方で「人生のパンクの卒業生」であり、ヒッピーを象徴していたものを拒絶していたという。やつらがポップなロックを聴くなら、おれたちパンクはG・B・Hを聴く。あっちにはストーンズがいたが、こっちにはデッド・オン・アライヴァルがいる。ヒッピーが無抵抗主義ならパンクは直接行動だ。おれたちはアンチ・ヒッピーなんだと。
なぜヒッピーにこんなに敵愾心を燃やしたのか。ヒッピーが過激だったからではない。過激さが足りなかったからだ。あいつらは寝返った。ヒッピーはヤッピーになったからである。で、同書によれば、コバーンをはじめパンクの連中も、じつはヒッピーがやっていたのとまったく同じことをいつのまにかやっていたという。つまり、かれらも「カウンターカルチャー」の思想そのものはそっくり受け継いでいたのである。だから、
最も重要なことは、それが現代のすべての政治的左派の概念のひな型になった。カウンターカルチャーはラディカルな政治思想の土台として、ほぼ完全に、社会主義に取って代わった。だから、カウンターカルチャーは神話にすぎないのだとしても、それは数知れない政治上の結果をもたらして、莫大な数の人を誤らせた神話である。
この「神話」で、わたしにとってもっと重要なポイントは、いまも根づよい「アーティストたる者、主流社会と対立するスタンスをとらなければならない」とする考え方であり、これがヒップとスクエアを分かつことになっているというところだろう。なぜならそれは、かねていわれているアメリカにおける「文化戦争」を示唆しているからである。いいかえれば、それでわたしは、アメリカにおける進歩主義・自由主義と伝統主義・保守主義の間における価値観の衝突をみてしまう。つまり、今般の大統領選挙でヒップなヒラリーがスクエアな文化にこだわる「白人労働者階級」の反逆によってトランプに敗れ去ったあたりにアメリカのいまをみているというわけだ。
そのことで、たとえば政治学者フランシス・フクヤマもいう。いまやアメリカの中心テーマは、人種や性差別のようなことから「社会階層・階級(Class)」問題へ移行しつつある。
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■ 杉原志啓氏 昭和26(1951)年生まれ。学習院大学大学院政治学研究科博士課程修了。学習院女子大学講師。著書に『音楽幸福論』など。