雑誌正論掲載論文

東アジアでは女性が消えている… 科学の進歩で広がる選択的中絶

2016年11月15日 03:00

青山学院大学教授 福井義高 月刊正論12月号

女わらべなればとて
いやしむべからず
北条重時

 男女共同参画社会の推進は、安倍晋三内閣の最重要政策のひとつである。その具体的内容の是非はともかくとして、「男女共同参画社会の形成は、男女の個人としての尊厳が重んぜられること、男女が性別による差別的取扱いを受けないこと、男女が個人として能力を発揮する機会が確保されることその他の男女の人権が尊重されることを旨として、行われなければならない」(男女共同参画社会基本法第3条)という基本方針に異論を唱える向きはないだろう。

 そもそも、女性尊重は日本の長い伝統である。しばしば指摘される日本の「男尊女卑」は、かなりの程度、明治維新による「男性的」近代国家誕生以降の現象といってよく、「封建」時代の日本では、意外なほど女性の権利は尊重されていた。

 日本の女性尊重の伝統を具体的に示したものとして、今から800年ほど前の1232年(貞永元年)に、鎌倉幕府の執権北条泰時によって制定された貞永式目(御成敗式目)がある。

 その条文は、何らかの基本理念から体系的に構築されたものではなく、武士の間で行われていた慣習や先例を、彼らが「道理」と考える規範意識に従って整理したものである。

 したがって、形式上は日本の国法であっても、中国からの直輸入で日本の実情とはかけ離れた律令とは違って、貞永式目は地に足がついた内容となっている。その影響は実に江戸時代にまで及んでおり、式目は寺子屋の教科書としても広く使われていた。

 この貞永式目の相続に関する規定が、驚くほど男女平等なのだ。

 まず、日本の「伝統」とされる長男相続の原則など、当時の武士には一切存在しない。貞永式目は自由相続を前提に規定が置かれている。「親は子のうちから長幼にかかわらず自由に嫡子を選定し、これに本領を含む最も多くの所領を譲与するのが普通であった」(笠松宏至校注「御成敗式目」『中世政治社会思想 上』岩波書店、1972年)。

 そして、「男女の号異なるといへども、父母の恩これ同じ」(18条)として、男女とも相続対象であることが当然視されている。妻が相続することも認められており、一旦、妻が(生前贈与で)相続すると、仮に離婚しても、妻に責がない場合、夫は取り戻すこと―「悔い還し」と呼ばれた―はできないと規定されている(21条)。

 さらに「武家の法制が既に女子の戸主たり所領の所有者たることを認めた以上は、これが相続の為めに養子をなすを妨げずとするは当然の事であ」り(植木直一郎『御成敗式目研究』岩波書店、1930年)、未亡人が養子をとって相続させることを認めるという、儒教文化圏では想像を絶する規定まで置かれている(23条)。

 山本七平が指摘しているように、貞永式目は一夫一妻が原則となっている。「これはイスラム圏から儒教圏までの『アジア』と対比する場合、実に面白い特徴といわねばならないであろう。『式目』には『結婚は一夫一妻制たるべし』といった条文はない。しかし…『式目』は、常識となっていることは規定しないのが原則であり、その条文が一夫一妻制を前提としていることは、これが当然とされていたということである」(『日本的革命の哲学』PHP、1982年)。 

 さて、日本では少子高齢化問題とその対策が種々議論されている。しかし、少子化と高齢化は、本当に「問題」だろうか。まず、日本人が全体として高齢化していることは、寿命が延びたためであり、基本的には好ましいことであろう。しかも、最近の高齢者は概して昔より明らかに元気である。

 少子化については、人口減すなわち労働力の減少につながることが問題視されているけれども、逆の議論もあり得る。人口が現在の半分程度だった大正後半から昭和初期にかけて、日本の人口は過剰とされていた。現在の日本は、欧米先進諸国と比べ、可住地面積あたりの人口密度が段違いに高い。山ばかりの我が国土に対し、人口が多過ぎるともいえるのだ。

 したがって、政策的強制なしに、個人の自主的判断に基づき、出生数が減り、人口が減少していくことは、むしろ望ましいようにも思える。人口が減れば、日本経済の規模は縮小するかもしれない。しかし、一人当たりの経済的豊かさが低下するとは必ずしもいえないのである。

 今日、真に憂慮すべき人口問題は、日本や欧米における少子高齢化ではなく、サハラ砂漠以南のアフリカにおける急激な人口増加と、アジアにおける「消えた女性」(missingwomen)の問題である。

 ここでは、後者の問題について、ロンドン大学テレーズ・ヘスケス教授らが『米国科学アカデミー紀要』(PNAS)などで発表した業績に依りながら、日本との関連も含めて、検討してみたい。

「消えた女性」とは、一国の人口構成において女性が男性に比べて少な過ぎることを指し、「息子偏重」(sonpreference)と表裏一体の関係にある。

 へスケス教授らによれば、「息子偏重は、東アジアから南アジア、中東そして北アフリカに至る弓状の国家群(anarcofcountries)においてもっとも顕著である」。

 なぜ息子が娘より好まれるかと言えば、農業社会においては労働力として男子の方が女子より経済的価値があること、家系を継続させるのは男子だと考えられていることなどによる。

 中東と一体といえる北アフリカのイスラム文化圏を含んだ、広い意味でのアジアにおける「息子偏重」は、出生後の女児への差別的取扱い―極端な場合には幼児殺し―に起因する、男児に比べて高い女児の死亡率につながっている。そのため、男女平等に扱われた場合と比べて、アジアを中心とした途上国全体で、現実の女性の数が一億人程度少な過ぎると推計されている。

 とはいえ、経済発展に伴い、女児の死亡率は減少しており、「消えた女性」問題も解決に向かうかに見えた。しかしながら、今度は科学技術の進歩が、その女児死亡率減少を打ち消す現象をもたらしたのである。アジアにおける男子の出生数が、女子のそれより異常に多くなってきたのだ。

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■ 福井義高氏 昭和37(1967)年生まれ。東京大学法学部卒。カーネギー・メロン大学Ph.D. 旧国鉄勤務を経て現職。専門は会計制度・情報の経済分析。近著に『日本人が知らない最先端の「世界史」』(祥伝社)。