雑誌正論掲載論文

パリ同時多発テロの衝撃 リベラリズムがイスラムに敗北する日

2015年12月25日 03:00

政治学者 岩田温 月刊正論1月号

 何とも不気味な偶然だ。

 二〇一五年一月七日、フランスの風刺週刊紙『シャルリー・エブド』が、イスラム過激派によって襲撃され、風刺漫画の担当者を含む十二名が殺害された。『シャルリー・エブド』がムハンマドを風刺する漫画を掲載し、これを「冒涜」であると捉えたイスラム過激派による事件だったが、同じ日、フランスでは一冊の本が出版されていた。ミシェル・ウエルベック『服従』。近未来小説だが、主題はヨーロッパにおけるイスラム教の台頭だといってよい。

 二〇二二年、そう遠くない将来、テロと極右政党の伸長に揺れるフランスで、イスラム教を信奉する政党が大統領選挙に勝利し、イスラム政権が誕生する――

 なかなか衝撃的な内容だ。本書では、自由民主主義社会の脆弱性、その自由であるが故にもたらされる脆弱性が克明に描かれている。自由社会は、他ならぬその自由によって蝕まれていくという逆説だ。

 この十一月にはパリでイスラム過激派による同時テロが発生し、フランスのみならず欧米、そして日本という自由民主主義国家に衝撃が走った。人々の理想とされてきたはずの自由民主主義国家から多くの若者が中東に渡り、イスラム過激派に加担しているという現実も我々に衝撃を与えた。『服従』で描かれた近未来を「夢物語」として片づけるわけにはいかない。

 我々、自由民主主義社会の住人は、過激なイスラム思想にどう向き合うべきか。それこそが、問題だ。

『服従』の主人公はフランス文学を研究する大学教授。若き日の研究への情熱は既に薄れつつあり、アルコールとタバコに溺れ気味だ。時折若いガール・フレンドとセックスを愉しむが、独身で子供もいない。深い信仰なども持ち合わせないが、確固たる無神論者というわけでもない。政治にもほとんど無関心だ。

 彼が住むフランスは二つに割れている。

 一方には、フランスのアイデンティティを守ろうとする右派が存在する。フランスらしさを守れと主張する勢力だ。彼らは、ヨーロッパの原住民として、イスラム教徒による「植民地化」を拒否せよと主張し、イスラム教徒が増加する前に、「武装蜂起」する必要があるとまで述べる。方法は簡単だ。フランス軍の内部に同志を送り込み、軍を掌握し、内乱を起こそうというのだ。

 他方には、イスラム勢力が存在する。イスラム同胞党という穏健な政治的主張を掲げる勢力だ。「穏健な」とは、いうものの、教育における男女共学を全廃したコーランに基づく教育と世俗教育という教育の二重化を図るなど、従来のフランスでは考えられなかったような主張を掲げる政党でもある。

 時はまさに大統領選の最中。フランスの大統領選挙は、国民の投票によって直接選出されるが、面白い特徴がある。一度目の投票で有効投票の過半数を獲得した候補者がいなかった場合、上位二名により決選の第二回投票が行われ、より多い得票者が大統領に選出されるのだ。『服従』が描く大統領選挙では、第一回の投票で極右勢力国民戦線の候補者が第一位となり、第二位にはイスラム同胞党の候補者が選出される。

 物語は一気にきな臭くなる。

 大学は閉鎖され、ユダヤ人であったガール・フレンドの一族はイスラム勢力の台頭を恐れて、イスラエルへの移住を決断する。主人公自身も、何かが起こることを恐れて、田舎へと車を走らせる。

 第二回投票ではテロによって投票所が襲撃され、やり直しの選挙の結果、勝利したのは、イスラム同胞党だった。第一回投票で敗れた保守政党も社会党も、極右を避け、穏健なイスラム同胞党を支持したために、フランス史上初めてのイスラム政権が誕生したのだ。穏健なイスラム政権は国民に歓迎されるが、フランスのイスラム化は進み、主人公が勤務していた大学もイスラム系の大学となる。イスラム教徒ではなかった主人公は研究への情熱が薄れつつあったこともあり退職するのだが、復職を請われる。勿論、それはイスラム教徒へと改宗することが前提なのだが、主人公は逡巡した挙げ句、一夫多妻制の魅力にも惹かれ、改宗を決断する。物語を締めくくる言葉は、主人公の「ぼくは何も後悔しないだろう」という台詞だ。

 色々な意味で考えさせられる作品だ。

 いうまでもなく、「イスラム」とは、神への服従を意味する言葉だから、この物語の題名そのものが「イスラム」を暗示しているのだが、この思想的背景を考察してみると面白い。

 主人公は確固たる宗教的信念を持たないだけでなく、あらゆる意味での信念を欠いた人物で、リベラル・デモクラシーの中における個人主義的なニヒリズムを体現した人物と言ってよいだろう。

 彼にあるのは自分だけだ。

 彼はある時ある愛国主義的な詩を朗読するカトリック教徒たちの集会に出席し、次のような感慨を抱く。

 

「この若いカトリックの聴衆たちは、自分の土地を愛しているのだろうか。彼らは祖国のために自らの生を犠牲にする覚悟があるのだろうか。ぼくは自分が消えてもいいと思っているが、それは特に祖国のためではなく、人生のあらゆる面で破滅してもいいと思っているだけなのだ」(『服従』邦訳・河出書房新社、一六二頁)

 

 祖国という観念は、主人公を鼓舞しない。主人公だけではなく、多くのフランス国民が「フランス」、国家というだけでは、一つになれない状況に陥っていることが描かれる。

続きは正論1月号でお読みください

■ 岩田温氏 昭和58(1983)年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大大学院政治学研究科修了。専攻は政治哲学。拓殖大学客員研究員。著書多数。近著に『平和の敵 偽りの立憲主義』(並木書房)。