雑誌正論掲載論文

世はこともなし? 第81回 気仙沼、二つの絆

2012年03月08日 03:00

 あの3月11日の東日本大震災からそろそろ一年だが、二つのことをご報告したい。

 一つは、昨年6月号「海やまのあひだ」で書いた気仙沼南販売所の藤田孝子さん(61)。その藤田さん夫妻が発行していた「ふれあい交差点災害特別号」が、栄えある日本新聞協会の地域貢献特別賞を受賞した。(月刊正論3月号

 二つは、同じく3月号「五駄鱈(ごんだら)の謎」で書いた学習塾の学舎英和経営の柳希嘉子さん(61)。その柳さんが31人の大震災被災者の声をあつめた文集を発刊したことである。ともに魚の町であり歴史の町であった気仙沼が、地域社会の雄として再起する意気ごみを示すものだった。

 藤田孝子さんとご主人の裕喜さん(河北新報気仙沼南販売所長)は、ともに自衛官出身である。夫妻は10年にわたって、「ふれあい交差点」というミニコミ情報紙を発刊し、新聞の読者に配っていることはすでに書いた。

 それがあの大震災で、藤田新聞販売店も支店が津波で流失し、300軒の読者を失った。電気も水道も停まった。自分たちの町や肉親や知人がどんな状況の下にあるのか、人びとは完全な情報難民に陥っていた。

「なんとしても必要な情報を届けたかった。それがミニコミ紙の役割だと思った」

 震災発生後1週間、なんとか新聞の戸別配達ができるようになると、藤田さん夫妻は新聞に折り込んで読者の元に「ふれあい交差点災害特別号」を届けることにした。第1号の3月18日付は手書きである。「ガンバロウ!! 気仙沼、負けないぞ気仙沼」の大文字がくろぐろと一面に躍った。

 1号をのぞいてみると「弁天町の佐藤年三(としみ)さん、恵美子さん、安否や居所をお知らせ下さい。姪の那美さん(古川)が心配しています」

 「グループホーム入所の境春野さんの安否ご存じの方、お知らせ下さい。息子の太一さん(愛知)が案じています」といった安否情報がつまっている。また階中、面中(ともに地名か?)両避難所の写真があり、そこへ避難した人びとの状況や名前がのっていた。

 翌3月19日号からは活版になっている。町の様子、安否の伝言、生活必需品譲渡の申し出…。さまざまな情報がひしめいていた。

 「ふれあい交差点が震災後1週間で発刊できたのは、みなさまのおかげなんです。コピー用紙やインクなどの印刷資材を援助してもらいました。おかげで300軒近く失った紙勢も、奇跡のように回復しました。暮れからは河北新報以外に朝日や産経サンも配れるようになりました」

 孝子さんははずんだ声でそう知らせてきた。

 日本新聞協会によると、いま日本の新聞発行部数は4932万千840部。それを支えているのが全国1万9261店の新聞販売所だ。そこに39万1832人の従業員が働いている。藤田販売所はその一店で、「大震災時にミニコミ紙を避難所等で連日発行」により地域貢献特別賞が贈られることになったのである。(コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫)続きは月刊正論3月号でお読みください

 ■石井英男 昭和8年(1933)神奈川県生まれ。30年早稲田大学政経学部卒、産経新聞社入社。44年から『産経抄』を担当、平成16年12月まで書き続ける。日本記者クラブ賞、菊池寛賞受賞。主著に『コラムばか一代』『日本人の忘れもの』(産経新聞社)、『産経抄それから三年』(文藝春秋)など。(続きは月刊正論3月号でお読み下さい)