雑誌正論掲載論文

世界の王室が危ない 皇室を王家とするなかれ

2012年03月08日 03:00

 もしも…、もしも世界に皇室や王室がなかったら、人々は今よりも粗暴で、倫理観に乏しく、ずっと我が儘であったことでしょう。

 今よりも治安は乱れ、文化性が乏しく、ずっと無味乾燥とした社会であったことでしょう。

 なぜなら、権威としての帝や王は、文明そのものであるからです。(月刊正論4月号

最初の王の物語

 権威としての王とはいかなる存在か--。ひとつ、物語風にお話ししましょう。

 最初の王は、単なる権力者でした。集団の中で最も力が強く、頭も良く、運にも恵まれた者が、仲間を率いるリーダーとなったのです。

 彼は、集団の中で最も大きな家に住み、最も美しい女を妻とし、時には別の集団と戦って富を増やしていきました。しかし、単なる権力者である以上、老い衰えて力を失えば、別の者に取って代わられます。王の子や兄弟が次の王になることもありましたが、せいぜい2~3代まで。本人に実力がなければ、権力の座は務まりません。

 ある時、王は考えました。どうしたらこの地位を、自分の子や孫に引き継いでいけるかと。

 そう考えたのは、王のエゴだけではありません。権力の座が代わるとき、必ず多くの血が流れます。そのため集団の力が弱まり、別の集団に攻め滅ぼされてしまうこともあったからです。文明が未成熟な社会において、権力の平穏な交代=世襲の確立は、集団を守っていく上で必要不可欠でした。

 ある日、王は言いました。自分は神の子孫(あるいは神の命を受けた者)であり、王の地位は神から与えられたものだと。

 そして、集団の中から頭の良い者が呼び集められ、王と神々を結ぶ物語がつくられました。また、集団の中から手先の器用な者が呼び集められ、神の子孫が身につけるにふさわしい装飾品がつくられました。文明の萌芽です。

 集団が拡大するにつれ、王の物語はますます普遍的に、かつ文学的になっていく。王の装飾品もますます精巧に、かつ芸術的になっていく。王国の拡大と文明の進化は、相関関係にあると言えるでしょう。

 いつしか王は、天子とか皇帝とかと呼ばれるようになる。実際の政(まつりごと)を行う権力者としてだけではなく、神々に近い権威者として広く認められるようになる。もはや、力が強いというだけでは、別の者が天子(あるいは皇帝)に取って代わることは出来ません。

 そこで、比較的小規模の集団の王などは、天子に貢ぎ物を差し出し、臣下の礼をとることで、自らの地位と領地を保持するようになります。また、天子や王の親族、功績のあった家臣などが領地を分け与えられることもあります。やがて、一人の天子を中心として、何人もの諸侯が地方で覇をとなえ、独自の文化を築いていく。封建時代の始まりです。

騎士道と武士道

 この封建時代が、人間と文明に与えた影響は計り知れません。天子は諸侯に、諸侯は家臣に、家臣は民衆に、恩恵を施します。一方で民衆は家臣に、家臣は諸侯に、諸侯は天子に、忠誠を誓います。騎士道、あるいは武士道の概念が確立し、人間の行動を律するようになる。損得勘定で動くのではなく、大義を重んじよと教える。道徳です。
 
 最初に封建制がとられたのは、中国の周王朝(紀元前1046年~紀元前256年)だと言われます。今、中華文明と呼ばれるものの大半は、この周王朝の時代に生まれました。孔子も孟子も、この時代の人です。

 ただ、その後に封建制が発展したのは、ヨーロッパと、日本だけでした。中国では秦の始皇帝が中央集権の絶対帝政を敷き、以後の王朝もそれに習いましたので、封建制とは言えません。周王朝の頃に飛躍的に進化した文明も、いつしか停滞してしまいます。一方でヨーロッパと日本は封建制の下、独自の文化を発展させていったのです。(上智大学名誉教授 渡部昇一=わたなべ・しょういち)続きは月刊正論4月号でお読みください

 ■渡部昇一氏 昭和5(1930)年、山形県生まれ。上智大学卒業。同大学大学院西洋文化研究科修了。独ミュンスター大学、英オックスフォード大学に留学。Dr.phil.,Dr.phil.h.c. 著書に言語学・英語学の専門書のほか『国民の教育』『先知先哲に学ぶ人間学』『人生を創る言葉』『論語活学』など多数。昭和60年第1回正論大賞受賞。