雑誌正論掲載論文

世はこともなし? 第111回 白菜を食うイナゴ

2014年08月25日 03:00

コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫 月刊正論9月号

 あの白菜がやってきた。

 台北の国立故宮博物院の名品「翠玉白菜」である。で、6月23日、上野の東京国立博物館・平成館に出かけた。

 開催前日の招待日だったが、午後2時すぎ、すでに3000人が特別室に並んでいた。展覧会自体の会期は9月15日までだが、この「白菜」だけは7月7日までの限定公開である。万万が一に備えて用心しているのだろう。

 東洋の至宝を収蔵する故宮博物院は、北京と台北の両方にある。ただしコレクションの中身は、比べものにならない。台北が月なら、北京はスッポンだ。北京の故宮博物院は4、5回訪れたが、台北の故宮博物院は一度だけ、平成6(1994)年の春だった。台湾を一周したとき、行政院新聞局の朱文清さんが案内してくれ、博物院の秦孝儀院長(当時)に会うことができた。むろんその折「翠玉白菜」を見ているから、こんどは〝再見〟である。

「翠玉白菜」は、清の光緒帝の妃である瑾妃(きんぴ、1873―1924)が嫁ぐとき持参したもので、紫禁城の寝室に飾られていた。白菜は中国語の「百財」と発音が似ていることから富を意味し、葉の青と茎の白が分かれているから「清々白々(清廉潔白)」を象徴しているのだそうだ。

 全長19センチ足らず、実際の白菜よりおやっと思うほど小さめだが、細かい葉脈まで巧みに表現した彫刻はみごとというほかない。いかにも白菜を思わせる色彩も、緑の葉は後で染めあげたのではなく、ヒスイの原石の色をそのまま生かした白と緑だという。

 そしてよく見ると、緑の葉先には2匹の螽斯(しゅうし)がとまっている。螽斯というのはキリギリスもしくはイナゴのこと、子孫繁栄の象徴であるそうだ。話によると螽斯は一度に99匹の子を産む。その繁殖力にあやかり、瑾妃も早く光緒帝の子をみごもりたいと願ったのだろう。

 ただしキリギリスはともかく、イナゴが白菜を好物にするとは思えない。イナゴは稲の害虫で、その大群の襲来は蝗害(こうがい)として恐れられている。はて、「翠玉白菜」になぜイナゴはとまっているのだろう。

 古屋奎二(けいじ)という中国研究家がいた。古屋さんは元産経の論説副委員長で、近畿大学の教授になった。私の2年先輩で、社会部時代にはよくしごかれた厳しいデスクであり、台湾特派員として活躍、『蒋介石秘録』を書き、平成12年に他界している。

 その古屋さんに『故宮の秘宝』(二玄社)という著書がある。久しぶりに手にとったのだが、台湾の人たちは皮肉をこめて「清(青い葉っぱ)はイナゴに食われて滅んだ…」といっていたという。清は中国最後の王朝(1616―1912)である。その「清の光緒帝は、晩年、伯母にあたる摂政の西太后に幽閉され、不遇のうちに病死した。清朝を倒した辛亥革命がおきたのは、その3年後であった」(同書)。

 台北の故宮博物院を代表する至宝「翠玉白菜」の葉先にとまっているイナゴ。多産で大食で、貪欲で傲慢なイナゴ。

 こやつは、豊かで味のいい白菜である台湾を食いつくそうと狙っているのではないか。そう、イナゴ、すなわち台湾と海を距てている大陸の中国である。

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