雑誌正論掲載論文

世はこともなし? 第83回 こんな時代があったんだ

2012年04月25日 03:00

コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫

 「袖振りあうも多生の縁」ということわざがある。この世はいつ、どこで、どんな人と知り合うことになるかわからない。人生は偶然に支配されている。

 東京西郊を走る西武新宿線の花小金井は、日ごろ私が使っている駅だが、その駅前に小さな中国料理店のE軒がある。いきつけの店でもある。

 2月初めのある午後、店はやや混んでいた。スタンドの一隅にようやく腰をかけ、広東めんを注文したところで隣席があき、折から入ってきた老夫婦がやれやれとばかりその席を埋めた。

 私と同じくらいの年配かと思うでもなく思っていた。すると店のおかみさんが、ともに注文のそばを待つ彼と我とを引き合わせてくれたのである。「お互い、文章に関連ある人同士かと思ったので…」と、これは後程のおかみさんの述懐である。「余計なことだったかしら」

 いいや、そんなことはなかった。彼は小平市在住の菊地博さん(78)といい、もらった名刺には「草原短歌会同人」「万葉集研究会主宰」といった所属が印刷されている。そうか歌びとだったのか。

 同じ世代の生まれなら、同じ思いや経験を共有しているかも知れないと思ったところへ注文の広東めんが到来、そのままになってしまった。

 ところが数日して、菊地さんからわが家に書籍小包が届いた。あけてみると『こんな時代があったんだ-家と別れて暮らした少年少女の四〇〇日(平成十一年)』と題する集団疎開した学童の体験記が第1巻、第2巻と収められていた。

 学童疎開というのは、米軍の空襲に備え、昭和18(1943)年から都会の国民学校初等科の児童を半強制的に農村地帯に分散させた措置である。全国で45万人の学童がこれを体験した。

 菊地さんは『こんな時代があったんだ』の編集人の一人で、東京・渋谷の常磐松小学校5年生だったという。

 昭和19年9月、常盤松小の児童182人は富山県城端(じょうはな)町へ出発、城端の古刹・浄土真宗大谷派の善徳寺という大きなお寺を宿舎とした。…と始まる文集の記録を読みながら、われとわが身につまされた。軍港横須賀生まれの私も、同じ年の夏、湘南・茅ケ崎のお寺(梅雲寺といった)に集団疎開させられた学童の一人だったからである。続きは月刊正論5月号でお読みください

 ■石井英男 昭和8年(1933)神奈川県生まれ。30年早稲田大学政経学部卒、産経新聞社入社。44年から『産経抄』を担当、平成16年12月まで書き続ける。日本記者クラブ賞、菊池寛賞受賞。主著に『コラムばか一代』『日本人の忘れもの』(産経新聞社)、『産経抄それから三年』(文藝春秋)など。