雑誌正論掲載論文

特集「日本の防衛」 尖閣・石原発言を支持する!

2012年05月14日 03:00

 自分の国は自分で守る―。この当たり前の意識が、戦後70年近くも置き去りにされてきた。それが諸悪の根源だ。もしも石原発言に何かリスクがあるとしても、喜んで引き受けよう。私達は石原発言を断固支持する。(月刊正論6月号

 尖閣諸島を東京都が購入とした石原慎太郎知事の発言に、快哉を叫んだ日本人は少なくない。なぜなら一昨年九月、尖閣諸島沖で卑劣な衝突事件を起こした中国漁船の船長が釈放されたとき、惨めな敗北感を味わったから。

 一方、石原発言を批判する人たちもいる。曰く「中国を刺激するな」「都のすることではない」「政治パフォーマンスだ」…。彼らに問いたい。あの忌まわしい日に、なんら痛痒を感じなかったのか―。もしも中国とは揉めたくない、多少の妥協は構わないと考えているなら、それは亡国の思想である。

 石原発言により、尖閣問題は新たな段階を突入した。それが今後に何をもたらすか、一色正春(元海上保安官)、佐瀬昌盛(防衛大学校名誉教授)、潮匡人(評論家)、山田吉彦(東海大学教授)、水島総(日本文化チャンネル桜代表)の識者5人が提言する。

「都知事が鳴らした号砲」 元海上保安官・一色正春

 《都民の前に国民たれ》

 東京都の知事は、東京都だけのことを考え、国のことは考えなくてもいいのだろうか―。日本という国があってこその東京都ではないのだろうか―。実際、日本最南端の沖ノ鳥島は東京都の行政区画であり、巨額な予算を費やして護岸工事を行っている。それが都民の利益に直結しているわけではあるまい。だからといって、その予算を出し惜しんで島を波浪の浸食にまかせ、海没させてしまえば、日本の国土面積より大きい約42万平方キロメートルもの排他的経済水域(EEZ)が失われる。東京都民はそれでいいのだろうか―。

 4月16日午後、米ワシントンD.C.を訪れた石原慎太郎都知事が「日本人が日本の国土を守るため、東京都が尖閣諸島を購入することにした」と発言したことが議論を呼んでいる。それ以降、民放各局は東京都内で街頭インタビューし、都民の反応をさまざまに伝えたが、その中で最も目立ったのが、「東京都が沖縄の土地を買うのはおかしい」「都民の税金をそんなことに使わないでほしい」という意見だった。だが、こうした意見に対し、何とも言えない不快感、違和感を抱いた国民は少なくないはずだ。

 こうした意見は、民放各局のキャスターやコメンテーターの口からも漏れた。新聞各紙の多くも似たような論調だった。例えば18日付の東京新聞社説は「都民の税金は暮らしのために使ってほしい」である。

 しかし、財政危機にもかかわらず今年度予算で沖縄県への一括交付金が大幅に増額されたとき、「地方交付税交付金はその地方の暮らしのためにつかうべきで、沖縄を優遇するのはおかしい」と主張したメディアがあっただろうか。日ごろは官僚の縦割り行政を批判し、経済の地域間格差をなくせ、弱者を救えと唱えながら、こういう時だけ管轄を持ち出し、「都民の税金は都民のために」と訴えるのは、明らかにダブルスタンダードである。

 《理由なき石原批判》

 石原都知事の発言について、中山義隆石垣市長は「好意的に受け止めている」と歓迎の意を表明した。仲井真弘多沖縄県知事も「何となく安定する感じ」と述べた。その背景には、これまで何もしなかった国に対する地元の不満、苛立ちがあるに違いない。国が尖閣諸島への上陸を禁じているため、所管する石垣市長ですら一歩も足を踏み入れることができない。このため尖閣諸島に棲息する稀少動植物の調査が出来ず、一部は絶滅が危惧されている。豊穣な漁場や地下資源を有効利用することも出来ず、中国漁船の出没に悩まされてばかりいる。かといって、予算総額約200億円の石垣市に尖閣諸島を買い取る資金はない。そんな時、資金力のある東京都が手をさしのべるのが、そんなにいけないことなのか。

 日本政府は、国が何もしなかったわけではないと抗弁している。だが、日本政府が領土を守るために毅然とした姿勢を示さず、必要な措置すらとらないことを、多くの国民が知っている。一昨年9月に尖閣諸島沖で発生した中国漁船体当たり事件でみせた政府の対応は、醜態そのものであった。中国に怯えて法治すら歪める議員、官僚が多い中、リーダーシップのある首長が具体的な一歩を踏み出したことが、そんなにいけないことなのか。

 今回の石原都知事の発言を、「政治パフォーマンス」「単なる人気取り」と見る批判に私は与(くみ)しない。石原都知事は魚釣島の灯台建設にも関わり、尖閣との付き合いは30年以上にわたる。私は昨年夏、縁あって石原都知事にお会いする機会を得たが、その際にも尖閣購入をにおわせるような発言をされていた。今回の決断は、長年温め、準備してきたことに違いあるまい。

 日本国内ではなく、世界中のジャーナリストが集まる米ワシントンD.C.で発表したことも、石原流の計算高さがうかがえる。日本国内であれば、購入に否定的なマスコミを通じて、バイアスがかかった訳文が世界中に発信されただろう。しかし米ワシントンD.C.であれば、世界中のメディアに直接訴えることができる。こうした行動は、思いつきの人気取りではできないものだ。

 《投げかけられた踏み絵》

 もっとも、ここで一つ注意しなければならないのは、石原都知事の発言は、スタートラインに過ぎないということだ。石原都知事が決断したからといって買い取り交渉がすんなり進むわけではない。また、仮に交渉が成立したとしてそれで全てが上手くいくわけではない。民主党政権がさまざまな横槍を入れてくるかも知れないし、マスコミがバッシング報道を過熱させるかもしれない。議会の承認というハードルもある。

 一昨年9月の中国漁船体当たり事件でも、根本的な解決をのぞむ国民世論があれほど高まりながら、いつの間にかしぼんでしまった。あの時も、私たちは間違いなくスタートラインに立っていたのだ。中国の理不尽な要求に屈して中国人船長を釈放し、その事実関係さえ明らかにしない民主党政権に、多くの国民が憤った。弱腰の日本政府の足下をみて中国側はますます居丈高になり、悪いのは日本側だと決めつけたが、ビデオ映像により真相が誰の目にもはっきりするや、たちまち引っ込んでしまった。

 このビデオ映像を公開した私の行為には、賛否両論の意見があるだろう。私は批判に対し、真摯に耳を傾けるつもりだ。しかし、繰り返しになるがあの時も、私たちはスタートラインに立っていた。しかしそこから先の一歩を踏み出さなかったのだ。気がつけば、競技は終わり、観客も去っていた。何故か。日本の政・財・官・マスコミのあらゆるところに、無用な摩擦を避けると言っては却って問題を長引かせ、妥協と譲歩を続け、結果的に中国側の利になるような行動をとる勢力がひそんでいるからだ。

 その意味で石原都知事の発言は、私たち日本国民に投げかけられた一種の踏み絵であると言える。私たち日本国民が世界に向かって堂々と尖閣諸島の領有権を主張し、行動できるかどうかが試されているのだ。スタートラインに立つだけでなく、そこから走り出せるかどうかが問われている。私たちは、この問題に対し誰が何を言い、どう行動するかを、じっくり観察しなければならない。日ごろは調子のいいことを言っている人たちが、いざ問題の本質を投げかけられた時にどうするか、その人の正体をあぶりだしてくれるだろう。

 早速、石原都知事の発言を受けて官房長官が、国が購入することもあり得るとの見解を表明した。昨年8月に排他的経済水域(EEZ)の基点となる離島を国有財産化した際、尖閣諸島の島を除いたのとは大違いである。しかし、今回の官房長官発言は石原都知事の動きを封じ込めようとするもので、いわばスタートラインに立った選手の後ろからシャツをつかむような行為と言えよう。その証拠に中国の反発に対して何も抗議していないではないか。

 政府与党だけではない。全ての国会議員、地方議員がどういう主張をするか、経済団体はどういう反応を示すか、新聞各紙はどういう論調か、評論家や専門家と称する人たちがどういう発言するのか、よく見れば何が真実か分かるはずだ。そして、自分自身が何をすべきかを考えてみてほしい。

 《誰もやらないのであれば》

 言うまでもなく、中国とあえて衝突しようとは思わない。しかし衝突を恐れて譲歩すれば、より大きな破局をもたらすことは世界中の歴史が示している。第二次世界大戦前夜にナチス・ドイツを助長させたのは、目先の平和を求めたイギリスとフランスがミュンヘン会談でナチスに譲歩したからだ。

 当然、中国の一時的な反発はあるかもしれないが、日本が毅然とした態度でのぞめば良いだけで恐れることはない。海軍らしい海軍のないフィリピンでさえ、中国と対等に渡り合おうとしているではないか。まして日本には、世界に誇る海上保安庁があり、中国海軍を凌駕する海上自衛隊がある。中国の膨張圧力にさらされている国々が、日本のリーダーシップに期待している。この現実を忘れてはならない。

 「東京が尖閣を守る。どこの国が嫌がろうと、日本人が日本の国土を守る」と石原都知事は言った。誰もやらないのであれば自分がやろうという意識は、今の日本人に最も必要な気概だ。尖閣について言えば、日本人が自由にいける状態にすべきだ。付近海域で日本漁船が自由に操業できるようにすべきだ。

 繰り返す。私たちは今、スタートラインに立った。石原都知事が号砲を鳴らした。さあ、胸を張って走り出そう。続きは月刊正論6月号でお読みください