雑誌正論掲載論文

世はこともなし? 第85回 津軽の人と散る花

2012年06月27日 03:00

 作家・幸田文に「この春の花」(昭和56年)というエッセーがある。(『木』所載、新潮社)

「この春は、いい春だった。3度もお花見ができた。3度も見る気で見れば、目の中にも、気持の上にも、花がたっぷりと行渡ったという、満足した思いがあった」

 私もこの春は3度も花見をすることができた。1度は自宅そばの白山公園(東久留米市)で。2度目はちょいと離れた小金井公園で。そして3度目は足をのばして弘前城の散りゆく花を。

 5月3日あさ9時36分発の東北新幹線「はやぶさ3号」。なにしろ弘前に生まれ育った「正論」販売担当のIさんが案内してくれるというのである。一行6人。折から日本列島を発達中の低気圧が通過していた。

 リュックには太宰治の名作『津軽』を入れておいた。若い時分に買った新潮文庫で、昭和38年発行、定価90円。『津軽』に書かれた太宰の足跡をあわせてたどるというもくろみだった。

 東北新幹線で新青森へ行くのは初めてだが、うかつにも新幹線が弘前を通らないということを知らなかった。弘前は津軽藩の城下町ではないか。しかも青森をしのぐ歴史と文化の町である。その弘前を通らずしてどこを通ろうというのか。

 いぶかりつつ時刻表を買い求め、地図をひらくと、津軽平野ではなく南部の八戸、七戸を通って左カーブで新青森へ行く。実際、新幹線はトンネルにつぐトンネルで新青森駅へ着く。弘前はそこからさらに奥羽本線で南下しなければならなかった。

 新幹線はなぜ弘前を通らないのか。

 読み返してみた太宰の『津軽』にこんなくだりがある。

「いったいこの城下まちは、だらしないのだ。藩主代々のお城がありながら縣庁を新興の町に奪われている。…青森県の県庁を弘前市でなく青森市に持って行かざるを得なくなったところに、青森県の不幸があったとさえ私は思っている」(原文は旧かな)

 そしてこうも書いている。

「弘前人は頑固に何やら肩をそびやかしている。負けていながらのほほん顔でいる」「どんな勢強いものに対しても、かれは賤しきものなるぞと随わぬのである」。それが歯がゆいと。

 鉄道敷設のさいの地形や工法にどんな問題が存在していたか、それはわからない。しかし昭和19年に太宰が書いていたことと、東北新幹線が弘前を回避していることとの間に、何やら共通点があるような気がしてならない。

 根っからの弘前人であるIさんは「津軽のじょっぱり根性(意地っぱり)かな、それも」とあまり多くを語ろうとしなかった。

 翌夜泊まった浅虫温泉宿のおかみは「それは大人の事情よ。政治の問題なのよ」と言った。どういうことか。複数の津軽人の見方を総合して忖度するとこうらしい。(続きは月刊正論7月号でお読みください