雑誌正論掲載論文

世はこともなし? 第86回 われら草食民族 石井英夫

2012年07月26日 03:00

 「草食男子」とか「草食系」などという流行新語は、ひやかしやおちょくり的に使われることが多い。悪口や批判めいて用いられている。

 悪くいえば、女性に口もきけないへなちょこな若者や、ベジタブルな兎男を指している。たくましい肉食人間や肉食獣の反対語だ。

 しかし、そうではない、草食の文化こそ日本人のすぐれた資質であり、草食民族の誇るべき特性であると主張する本を読んだ。

 国米家己三著『日本は「世界のアトリエ」』(東洋出版)。国米さんは早大政経卒、少年時代はソウルで過ごし、一時、産経新聞記者をしたこともあるフリージャーナリストだ。“草食男子”というのは最近の流行語だが、もう十年も前から「草食文化と日本人」を国際的視野から考察していたという。

 そもそも日本人は何者なのか。どんな特性をもち、どんなキャラクターなのか。

 この本は例の3・11歴史的な東日本大震災のある象徴的な光景から書き始められていた。

 震災発生から十日ほどたった日だという。

 ある遺体安置所から一人の主婦が出てきた。年の頃は五十半ば。その女性はテレビカメラの前に立つと、

「…ただいま夫に会うことができました」

 そう落ち着いた口調でいい、数秒、顔を伏せ、両手で目頭を押さえて静かに顔を上げ、

「会えなければ一生悔いが残りますものね」。

 さらに続けて、「お陰さまで会うことができ、私は幸せです。本当にありがとうございました」。それだけ言うとカメラに深々と頭を下げ、背筋を伸ばして去っていったというのである。

 テレビが映しだした光景というのはそれだけだ。その映像は私も見た記憶がある。

 そこで国米さんはこういう。また私もそう考えた。この十日間、彼女は夜もろくに眠らず夫の行方を捜し続けたに違いない。がれきの遺体安置所をいくつも回りながら、変わり果てた夫に会える時がきたら、決して取り乱すまい、そう覚悟を決めてきたのではないか。

 そしてその時がきた。激しくつき上げるものを懸命にこらえながら、カメラに向かって礼をいい、頭を下げた。

 夫を喪った悲嘆のどん底で、「『私は幸せです』は公へのメッセージである」と国米さんは説く。公とは社会であり世間であり、そのメッセージとは行方知らぬ肉親を求めて苦しんでいるたくさんの被災者への思いやりである。同時に、夫を見つけて遺体をきれいに処置してくれた自衛隊や警察や消防への深い謝意である。

 彼女はカメラの向こうの公に対して、折り目正しく遺族としてのあいさつをした、とこの本は述べていた。

 確かに、ここには日本人らしさや日本民族の特性がありそうだ。同じ東洋民族でも、中国人や韓国人はこうはいかない。不肖、わが人生でかかる中国や韓国の女性にはお目にかかったことはない。この自己抑制のきいた意思表示は、日本の草食文化の特性であるといってもよさそうである。続きは月刊正論8月号でお読みください