雑誌正論掲載論文

中国よ、台湾よ、これでも領有権を主張するのか 「キッシンジャー文書」の中の尖閣

2012年08月15日 03:00

 《はじめに》
 先月の7日、野田佳彦首相が尖閣諸島を国有化する方針を明らかにし、独自に購入を計画している東京都と協議に入っていることを明らかにした。これに対して中華民国(以下台湾とする)と中華人民共和国(以下中国とする)は、例によって反発を強めている。このようなとき、日本の尖閣諸島の領有に関する事実関係をより明確にすることは、大いに意味があるだろう。

 本論は、リチャード・ニクソン大統領図書館所蔵のヘンリー・キッシンジャー文書「台湾の尖閣諸島に対する要求」(以下尖閣文書とする)をもとに、沖縄復帰のとき台湾が尖閣諸島に関して米国にどのような申し入れを行っていたのか、それに対してニクソン政権幹部がどのように回答していたのか、彼らが最終的にどのような判断を下したのかを明らかにしたい。そうすることで、日本の領有権の正当性についてこれまでなされてきた論証の補足としたい。(早稲田大学教授・有馬哲生 月刊正論9月号

尖閣領有権は沖縄復帰に直結

 そもそも尖閣諸島の領有をめぐる議論は、1968年(20世紀は後の2桁のみを記す)に日本が領有権を米国に確認し、かつこの周辺で台湾漁民がしている不法行為(密漁や難破船の占拠など)を取り締まるよう琉球列島米国民政府(沖縄を委任統治していた米国軍政府)に強く要求したことで浮上し、69年秋に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)が周辺の大陸棚に石油資源が埋蔵されている可能性が高いという海洋調査の結果を発表したあとの同年11月22日に佐藤(栄作)─(リチャード)ニクソン会談で沖縄復帰が合意されたのち、中華民国が米国にこれらの島々を日本に復帰させるのを保留するよう求めたことで始まった。

 このとき米国は、沖縄を日本に復帰させるにあたって、尖閣列島を沖縄の一部と認め、日本に復帰させるのか、それとも沖縄の一部とは認めず、保留し、帰属のことは日本と台湾の間の議論に任せるのか判断を迫られることになった。ここにおいて、尖閣諸島の議論は、沖縄復帰と直接的に結びついていたのだ。

 テレビなどは、尖閣諸島が1895年から日本領とされて、所有者もいることをしばしば指摘し、それをもって尖閣諸島が日本の領土だと報じている。だが、日本は第2次世界大戦に敗れてポツダム宣言を受諾し、さらにサンフランシスコ講和条約によって沖縄を米国の統治に委ねたのだから、沖縄復帰のときに、これらの島々が日本に復帰させるべき領土とされていなければ、それ以前の領有や所有の実態は、あまり意味を持たない。それは、ポツダム宣言によって日本が放棄させられた千島列島(ただし北方四島は除く)などの場合と同じだ。

 したがって尖閣列島をめぐる議論は、やはり沖縄復帰に関するものであり、以下で見ていく尖閣文書の内容からしても、日本―米国―台湾の間のものだったといえる。たしかに、中国も日本と米国が沖縄復帰で合意したあとの70年12月3日(米国東部標準時の)になって初めて尖閣諸島の領有権を主張したが、米国もなんら考慮に値する根拠が挙げられていないと判断している。したがって、台湾の主張を退けることができれば、尖閣諸島は台湾のものであり、台湾は中国のもので、したがって尖閣諸島は中国のものだという中国の三段論法も退けることができる。

台湾の主張の根拠

 そこで、まず、台湾側が沖縄復帰のときに米国側に対してどんな申し入れを行っていたのか、その主張の根拠がどのようなものだったかを見よう。これを明らかにするのが71年3月15日に駐米台湾大使周書楷が米国国務省に赴き、口頭で台湾の尖閣諸島に対する要求を伝えたうえで渡した文書だ。以下はその要旨である。

 (1)15世紀の明の時代から琉球に冊封使を送っているが、その使節団の旅行記にとくに釣魚台(魚釣島)、黄尾嶼(久場島)、赤尾嶼(大正島)の3島のことが詳しく記されている。その記述によれば、これらの島々は台湾と琉球の境界線と考えられてきた。

 (2)釣魚台列嶼(尖閣列島)の地質学的構造は台湾のものと似ていて、地理的にも台湾と隣接している。だが、沖縄からは200マイル以上も離れている。

 (3)釣魚台列嶼は、長年にわたって台湾漁民の漁場だった。彼らはこれらの島を、嵐を避けるためや船や漁具を修理するために使ってきた。

 (4)日本政府は釣魚台列嶼を1894年以前(つまり日清戦争以前)には沖縄県に編入してなかった。この編入は日清戦争のあと中国による台湾と澎湖島の割譲の結果(in the consequence of China’s cession of Taiwan and Prescadores to Japan)起こっている。

 第二次世界大戦の終結以来、北緯29度以南の島々は、サンフランシスコ講和条約第三条にしたがって米国の軍事的占領下に入り、そのなかに釣魚台列嶼も含まれていた。中華民国政府は、この地域の安全保障への配慮から、これまで米国の軍事的占領に異議を唱えなかった。だが、これは釣魚台列嶼が琉球の一部であることを中華民国政府が黙認したと解釈されるべきではない。さらに、国際法の原則によれば、一時的軍事占領は最終的主権の決定に影響を与えるものではない。((4)のうち傍線部は原文のまま)

 これら歴史、地質、地理、使用実態、国際法上の理由により、釣魚台列嶼は台湾と関係が深く、台湾に付属する、あるいは帰属するものとして扱われるべきである。台湾も澎湖島も隣接する島々も第二次世界大戦後中華民国に返還されたが釣魚台列嶼が例外となっている。1972年に米国による琉球諸島の占領が終結するにあたり、米国政府は中華民国の釣魚台列嶼に対する主権を尊重し、これらの島々を中華民国のために留保すべきである。

 以上が、台湾が米国政府に対して行った申し入れの要約だが、主旨を歪めるような夾雑物は一切入れていないし、日本側にとって不利な点を隠すこともしていない。したがって、この内容が理にかなっていないとすれば、台湾の領有権の主張そのものが理にかなっていないことになる。そして、この要約からも、これまで政府関係者やマスコミから私たちが知らされていた以上におかしなことを台湾が述べていたことがわかる。続きは月刊正論9月号でお読みください

 ■有馬哲夫氏 昭和28(1953)年、青森県生まれ。早稲田大学卒業後、東北大学大学院文学研究科修了。東北大学大学院国際文化研究科助教授などをへて現職。アメリカの占領政策と日本のマスメディアの関係を明らかにする研究に注力。著書に『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』『アレン・ダレス 原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』など。