雑誌正論掲載論文

世はこともなし? 第95回 チューリップ唇をすぼめて…

2013年04月25日 03:00

コラムニスト・元産経新聞論説委員 石井英夫 月刊正論5月号

 戦後はや六十有年過ぎた。

 戦後史をひもとけば、敗戦の昭和20年、外務省監修と銘うって売りだされた『日米会話手帖』が、火野葦平『悲しき兵隊』、森正蔵『旋風二十年』と並んでベストセラーになっていた。ところで、日本人の英会話能力はそれからどれだけ向上したか。比べてみても意味ないが、私などはまったくの英語オンチ、さっぱり付きの会話下手だ。

 さて、水庭進氏(89)はその英国英語の達人である。知り合いになってとうに30年が過ぎる。ふだんは「水庭先生」とお呼びしているのだが、実は水庭さんは私の前では一度も英語を使ったことはない。話はもっぱら酒と俳句と、釣りと落語である。

 その水庭さんが最近『チューリップ 唇をすぼめて英語の[uː]』(発行・茅ヶ崎出版、発売・星雲社)という半生の記を出版した。タイトルからして俳句だが、この本を読むと敗戦前後の日本の英語事情がわかってくるのである。

 どうわかるのか。まず水庭進さんの経歴をざっと見ておこう。大正13(1924)年、東京生まれ。巣鴨学園から東京外国語学校(東京外語大の前身)の英米科に入り、アルバイトで日本放送協会(NHK)の海外放送(ラジオ東京)の英語アナウンサーをした。一時軍隊に召集されたが終戦でNHKに復帰、国際局欧米部の英語アナになり、英国放送協会(BBC)に出向。NHK時代は吉田茂元首相の国葬の英語実況を担当した。国際局次長で退職。日大歯学部教授(英語)を務めたりもした。

 英語との出会いは、巣鴨学園時代の五十嵐新次郎先生(旧制岸岡)に始まる。五十嵐新次郎といえば、「ヒゲの先生」としてテレビの英語教育界の名物男で、早大教授でも有名だった。長身で眉目秀麗、これだけ美しい英語を話す教師はいなかった。黒板にチョークで書く字は、まるで英習字のお手本のように端正だったそうだ。

 水庭少年は毎晩のように五十嵐先生のアパートを英語学習のために襲ったが、「文章は絶対に覚えようとするな。自然に口をついてでるまで何回でも読め」がきついお達しだった。

 終戦直後、水庭さんは神田今川橋の焼けビルで開校した日米会話学院で「スピーチ・クリニック」の講座を、五十嵐教授と共同で担当した。そのころの思い出だが、花も恥じらう若い女性に英語の[uː]の正しい方法を教えた。ルージュを濃くひいた女性の唇が、チューリップのつぼみになって迫ってくる錯覚をおぼえ、思わず詠んだ句が半生記のタイトルになった作だという。

 東京外語時代は岩崎民平、小川芳男、安藤一郎などの名物教授に教わった。岩崎教授の音声学とシェークスピアは今も忘れられないという。『ハムレット』第三幕第一場はかの有名な一行で始まる。

 To be or not to be : that is the question :

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■ コラムニスト・元産經新聞論説委員 石井英夫 昭和8年(1933)神奈川県生まれ。30年早稲田大学政経学部卒、産経新聞社入社。44年から「産経抄」を担当、平成16年12月まで書き続ける。日本記者クラブ賞、菊池寛賞受賞。主著に『コラムばか一代』『日本人の忘れもの』(産経新聞社)、『産経抄それから三年』(文藝春秋)など。