雑誌正論掲載論文

創刊40周年記念連載 戦争史観の転換―日本はどのように「侵略」されたのか

2013年04月05日 03:00

第1章 そも、アメリカとは何者か?

評論家 西尾幹二 月刊正論5月号

一、

 日本の歴史は大略2000年、この列島に人間が住み始めてからはもっと遥かに長く、おそらく1万5000年ぐらい前になるだろうと思うが、日本だけではない、東アジアの歴史はどこも古いし、文化も豊かで、多様である。大きな海原があり、互いに離れた大陸や島々があり、太平洋を越えた遥か東側の大陸にも、やはり同じぐらい古い民族と文化があった。2万5000年ぐらい前にユーラシアを西から東に移動し、ベーリング海峡を渡って、アラスカを通り抜けて南下し、そこに住みついた人々がいて、彼らは、前に日本列島に流れ込んだのと同じ系統の民族だったらしい。その種族はひょっとして同一同根ではないかということも言われている。言うまでもなくインディオやインディアンのことである。

 その大地にわずか350年ほど前に異変が起こった。わずか350年である。東アジアの民の長い歴史からすると、ほんの束の間に見える。予想もしない異変。把握しがたい別系列の人種の出現。別系統の文化、自然信仰ではない一神教教徒の集団。わずか350年は一瞬の出来事かもしれない。だから今から後そう長く続かないのかもしれない。厄介な相手で、江戸時代の前期、ちょうど水戸光圀の頃に出現したこの異質集団は、どんなにはた迷惑でも、こちらに押し寄せてくるから無視するわけにもいかない。こんな隣人の存在は正直言ってわれわれにとっては不運であり、不幸である。しかし当分のあいだ、われわれはその存在形式を見極めて耐え忍ばねばならないのも現実である。うまくいけば次の350年が経ったらいなくなるのかもしれない。否、少なくとも大きく変質するということはあり得るだろう。

 そもそもアメリカとはいったい何者か。アメリカはいったい一つの国だろうか。そういう疑問を抱くことはしばしばであった。イギリスやフランスやオランダやタイやエジプトやチリやその他その他などは皆国であるが、そういう意味での国家なのであろうか。アメリカ自身は最も代表的な国家のような顔をしているのだけれども、果たしてそうであろうか。第一命題、アメリカにとって国際社会は存在しない。このタームをしばらく置いといていただきたい。これはある意味でたいへんな驚くべき現実を示唆してもいるのである。

 先の大戦の終結から68年、米ソ冷戦の終結からも23年、少しずつわかってきたことがある。米軍が主にヨーロッパ、ペルシャ湾岸地域、東アジアの3地域に駐留していた理由を、私たちは長い間、いや、世界中は長い間、ソ連に対する脅威のせいだと思い込まされてきた。けれどもソ連が消滅してすべてが終わっても、米軍は撤兵しない。世界中の基地を維持し続けている。そもそも日本の本土などは兵力がほぼ空っぽなのに、基地は返還されない。日本のケースは典型例かもしれないが、しかしこれは日本ばかりの話ではないと思う。

 わが国は150年ほど前からアメリカに対してだけではなく、ヨーロッパ諸国にも窓を開いて、広い国際社会との付き合いをしてきた。第二次世界大戦の終了でヨーロッパの諸国は植民地の独立を認めざるを得なくなり、大国・小国の違いはあるが、先頭を切って国民国家、主権国家、これはウェストファリア体制と言うのだが、そういうものに立ち戻ったはずである、と思っていた。冷戦が終わって。つまり再びまた世界はウェストファリア体制に立ち戻った、と。

 だけれどもどうもそうじゃない。アメリカは自分をそういう国々の一つだとは思っていないみたいなのだ。長い間ソ連支配が一方にあったので、アメリカのこの特別な地位、特権的地位はあまり意識されなかった。冷戦が終わって今になって、20年以上経って、私は「おや! これはおかしいぞ」と思い始めている。

 アメリカが独立した当時は、スペインやイギリスやフランスなどが世界に拡大し植民地を広げていた時代であった。アメリカはそのヨーロッパを醜いものと見立て、若い自分を純粋な存在だというふうに意識し続けていたようだ。第3代大統領、独立宣言を書いたかのジェファーソンは、ヨーロッパというところはフランスの知識人ヴォルテールの言うとおり、人間がハンマーか金床か必ずどちらかに分かれている。打つほうと打たれるほう、少数の支配者と大多数をなす被支配者の2階級に分かれていて、打たれるほうは肉体的精神的圧迫の下に苦しんでいる、というようなことをしきりに言っていた。ヨーロッパという旧大陸が既に健全さを失い、驕慢に溺れ、肉欲にふけっている。ヨーロッパは既に老成し、頽廃し、病んでいる、新大陸の野蛮人たるわれわれの素朴、健全、無垢を見よ、と。

 この言葉はジェファーソンだけではなくて、おおむねすべてのアメリカ人の胸中に宿っている。憲法に「平等」を掲げて独立し、ヨーロッパというものに他者として出会って以来の長い間、絶えず意識し、ヨーロッパと自分は違うぞと主張してきたアメリカ人の原点のようなものである。すなわちナイーブなアメリカ対すれっからしのヨーロッパ、若々しい無垢なアメリカ対老いたる頽廃のヨーロッパ、こういう基本主題のバリエーションがアメリカ人のヨーロッパ観の中に長く生き続けてきた。

 私が最近知った本に、1968年に出た宗教学者のアーネスト・リー・テューブソンという人のRedeemer Nationがある。“Redeemer”とは救済者、救世主であるから、救い主国家、救済する国家、つまりキリスト教的な救済の国家アメリカという意味であって、副題には「アメリカ至福一千年の役割の理念」とついている。ヨーロッパはもう駄目、アメリカこそ人類の救い主だ、そういう自己認識あるいは自負心からスタートした理念を、歴史の中のさまざまな人の言葉の中から拾い出し、跡づけている本である。本稿では後でも何度か引用するが、その序文にいきなり出てくる“deep and persisted trait of the American mind”、アメリカの心の深いところにあるしたたかな特質というものは、“the belief in Old World corruption”(旧世界の頽廃)、“and New World innocence”(新世界の純潔)だというのである。くっきりと対比しているこういう観念が第二次世界大戦後のアメリカの基本にあるということを、これは40年前の本ではあるが、あらためて認識しておきたい。

 これを、もう一つの命題、第二命題と思っていただきたい。アメリカ人のこの自己認識、現実にアメリカ人が自分をそう思っているらしいということは前から薄々感じてはいたが、堂々とここまで言われると、びっくりしてしまうのである。アメリカは一つの国であるが、また一つの世界であると、そう常に主張しているかに見える、というのが先程述べた第一命題であったが、アメリカは今もヨーロッパに比べいささかも頽廃していない、純潔そのものの国だ、という自己認識に生きてきた、というのが第二命題というふうに見立てることができる。

 続きは正論5月号でお読みください。

■ 西尾幹二氏 昭和10(1935) 年、東京生まれ。東京大学文学部独文学科卒業。文学博士。ニーチェ、ショーペンハウアーを研究。第10回 正論大賞受賞。著書に『歴史を裁く愚かさ』(PHP研究所)、『国民の歴史』(扶桑社)、『日本をここまで壊したのは誰か』(草思社)、 『GHQ焚書図書開封1~7』 (徳間書店)、『中国に対する「労働鎖国」のすすめ』(飛鳥新社)など多数。『西尾幹二全集』全22巻を国書刊行会より刊行中(第6回「ショーペンハウアーとドイツ思想」まで配本)。