雑誌正論掲載論文

世はこともなし? 第92回 近いうちきっと行きます… 石井英夫

2013年01月25日 03:00

 小欄の締め切りは12月16日の衆院選投票日よりかなり前、しかも師走だからデッドラインはさらに早まっている。それゆえ選挙の行くえにじたばたしても始まらないし、じたばたする気もない。

 しかし年の瀬にして、政党たちの合従連衡は五里霧中、なにがなんだかわけがわからなかった。「この指とまれ」の黄色い声に、わらわらと先を争ってマニキュアの指にとびかかるみっともなさ。さながら極楽の蜘蛛の糸にすがりついて他の亡者をけおとす〓陀多そのもの。亡者のなかには無役の一兵卒となって加わった壊し屋もいた。その亡者はいつぞやも一兵卒になったはずだが、犬のしっぽのはずが犬の頭を振り回し、あげく民主党という集団をぶち壊す騒ぎを起こしていた。

 そんなこんなで、新聞の一面に大見出しで載る観測記事や政治作文には興味も関心もわかない。気を引かれるのは、政治のこぼれ話や小さなコラムだが、これが面白くも何ともない。政治家は言葉が命のはずだが、その言葉や表現にさっぱり血が通っていない。生き生きしたレトリックや腹の底から笑わせるユーモアもウイットもない。そういう材料を新聞記者に提供していないし、書く側も劣化して敏感に反応していないからだろう。

 そんな折、曽野綾子さんの産経連載コラム『透明な歳月の光』で、「表現力のない政治家を持つ不幸」(11月21日付)という一文を読んで思わずひざを叩いた。

 小沢一郎氏「陸山会」土地購入をめぐる裁判で無罪が確定した時だが、曽野さんは「小沢氏は恐らく他者や世間を納得させる表現力に欠けた人で、こういう人に政治家が務まるはずはない」と断言する。

 というのは「億という単位の金が動いたことに関して」「『収支報告書を一度も見たことがない』という常識では考えられないような返答で済むと思う人に、政治などできるわけはない」からだ。

 自分で「何らやましいことはない」といっても客観的証明でもなければ、屁のつっぱりにもならない。(いや曽野さんはこんな下品な表現はなさってない)。「きちんとやる」とか「嘘をつかない」とかいう表現は、他者がその人を評価する言葉として使った場合、初めて力を持つが、自分が自分について、こう言っても全く無力なものなのだ──と曽野さんは説破している。おっしゃる通りだろう。

 そういえば野田前首相は「私はバカのつくほど正直な性格だった」を売り物にしていたが、これまたただの自己宣伝でしかない。

 この政治家は「近いうち」を口ぐせにしていたが、同じ11月21日付の産経のテーマ川柳に「近いうちきっと行きますお義母さん」(東大阪市・吉岡純子)という一句が載っていた。選者の復本一郎氏の評に「『近いうち』はこのように使えばいいわけです。建前のかげに本音がチラチラと。嫁姑関係」とある。その川柳を読んで、ようやくクスンと笑えたのだった。続きは月刊正論2月号でお読みください

■コラムニスト・元産經新聞論説委員 石井英夫 昭和8年(1933)神奈川県生まれ。30年早稲田大学政経学部卒、産経新聞社入社。44年から「産経抄」を担当、平成16年12月まで書き続ける。日本記者クラブ賞、菊池寛賞受賞。主著に『コラムばか一代』『日本人の忘れもの』(産経新聞社)、『産経抄それから三年』(文藝春秋)など。