雑誌正論掲載論文

[特集]歴史捏造国家に一撃を 韓国の「反日」とはなにか

2012年11月15日 17:00

「反日」は韓国の生み出した最大のイデオロギーであり、国際的影響力も少なくない。日本は厄災と忌避することなく、批判的検討を加えるべきではないか(首都大学東京教授・鄭 大均)月刊正論12月号

反日は韓国の必要から生まれた

 韓国の反日(日本に対する否定的な感情や思考)について五つの命題を記しておきたい。まずは起源の問題である。この点に関しては、日本の植民地支配の産物であるという印象が韓国でも日本でも広く共有されているようであるが、それでいいのだろうか。ソウル大学の金容徳教授(歴史学)は次のようにいう。

〈他国に対する認識の基調は、おおよそ両国間の接触の歴史を通じて形成される。(中略)韓国人の大半の対日観も韓日間の接触の歴史を通じて形成された。しかし、その接触は葛藤・破壊と相互蔑視、侵略と抵抗などで染まってしまったので、これと異なる日本を認識する暇もなく、韓国人は反日感情をもつようになった。しかも、日本が主として両国間の不幸の原因を作ったという歴史を忘れることができないので、多くの韓国人が生来反日本人として生まれてきたのである〉(「対日観の変化形態と正しい相互認識への道」小島康敬他編『鏡のなかの日本と韓国』ぺりかん社、二〇〇〇年)

 韓国人の対日観は韓国の学校教育やメディアの反日教育の産物だとでもいったほうがよい。解放後の韓国にみられるのは「全韓国人の反日化」(マーク・ピーティー)という状況であり、日本の否定性を語ることとアイデンティティの感覚は不可分の関係にある。これは理解できないことではない。「皇国臣民化」という日本人化を経験した韓国人が解放後それに反発し、韓国人化を志向する過程で自分の心や身体にしみついていた日本的なものを振り落とそうとした態度はおかしくない。解放後の反日とはそのようにして出発したのであり、その意味で、反日は日本の植民地支配とたしかに無縁のものではない。しかし反日を必要としたのは韓国人であり、反日は対日関係に連動しても形成されるが、それ以上に、韓国における政治権力の状況や日本に対する個人的な先入観や蔑視や幻想や妄想に結びついても形成されるもので、その多くは現実の日本や日本人とは無関係の産物である。反日とは、基本的には韓国において社会的、文化的に構築されたものである。

 反日教育のまっただ中で育った人類学者の崔吉城(人類学者、一九四〇年生)は、韓国の反日感情や旧宗主国に対する反感は普遍的なものであると考えていたという。ところが九〇年代半ば、一か月あまり調査旅行のため東南アジアに滞在してみると、現地の人間が植民地時代のことを必ずしも否定的に言及しないことに気がつく。「もっとも印象的なことはシンガポールでシティ・ツアー(のバス)に乗った時、女性ガイドがイギリス植民地時代を滔々と紹介することであった。しかもその時代のことを悪く言わない」(『「親日」と「反日」の文化人類学』明石書店、二〇〇二年)。やがて崔は中国東北三省の旧満州地方の朝鮮族が韓国人ほど反日的でないことにも気がつく。「多くの人から植民地時代を含めて日本を讃えることばを聞いた。酒を飲みながら日本の歌を歌う人も多かった」

 こうした体験から崔吉城は反日が普遍的なものではないことに気がつく。「東アジア全体からみても中国人よりも延辺の朝鮮族、朝鮮族よりも北朝鮮の人や韓国人のほうが反日感情が強い。それは(中略)植民地史の本質が異なったということよりも戦後の民族や国家の体制や事情によって異なっているといえる。(中略)それが国家的アイデンティティなるものであろう」

 氏によれば戦後の反日は戦前の反日を継承するものでもない。日本統治下の朝鮮で反日を実践した朝鮮人は圧倒的少数派であり、三十五年間の統治期間を通しても、反日が国土をゆり動かしたといえるのは三・一運動(一九一九年)のときぐらいである。対して、解放後に見られるのは全国民の反日化という状況である、今や反日は、抵抗や逸脱の運動というよりは同調や規範の運動になっているのである。

反日とは偏見である

 反日の言説を反日論というなら、反日論とはしばしば日本への対抗心や敵意や憎悪を動機に生まれるもので、それは現実の日本や日本人との相互作用から生まれる場合もあるが、想像上の日本、あるいはシンボル化した日本との相互作用から生まれる場合もある。

〈政治分野・産業・技術・経済問題などにおいて、日本は韓国に向かって玄界灘の波よりもずっと荒く、高い塀越しにいます。しかし、日本人の厚い障壁を越えることのできる裏道がありますが、それが「文化的攻略」に他なりません。いわば、われわれの商品や政治的影響力よりは、「歌謡曲」「囲碁」「スポーツ」の方が日本を貫いて入っていくのがはるかにたやすく、また可能だということです。彼らと競争して勝つとか、あるいは彼らを説得しうる力は「刀」(軍事力)やソロバン(経済力)ではなく、まさに「筆」だという点ですね。

 朝鮮王朝の通信使が日本に行ったとき、彼らが要求したのは「書画」や「書籍」でした。軍事力や経済力はわが国より先立っていたが、「筆の力」に対してはコンプレックスをもっていたし、実際その点においてはわれわれが優位に立っていたんですね。(中略)

 文化的にみるとき、われわれは日本を抑えることができます。それが日本の弱みでもあるんです。ところが、今われわれはこの文化的優位政策を忘れています。筆を韓日関係の核とするとき、政治・経済分野でも成功するでしょう。文化とは集団や組織より個々人によって形成されるものです。チームワークに弱い韓国人の性格にも合う政策なんです。集団性が強い日本との競争で勝つ方法はこういうゲリラ戦法ではないかと思います〉(『月刊朝鮮』一九八二年八月号)

 これは『「縮み」志向の日本人』等の著書で日本でも知られる李御寧(三三年生)の八〇年代初期の発言である。氏の日本文化論は斬新だった。当時の韓国の日本論は、それが仮に日本への文化的優越性を語るものでも、何かしら屈折や躊躇をともなうのが普通であったが、氏は臆することなく明朗にそれを語り、やがて部分的にではあれ、その言葉が自己実現する時代がやってくるのである。これは根拠薄弱のほら話であっても、言葉が人間の心や身体に新しい感情や思考のパターンをすり込み、それがやがて国民の創作や製造の実践を生みだすという絵に描いたような事例として記憶されてよい。氏は多くの韓国人に明るいビジョンを与えた人間であり、その言葉は比較的健全であった。

 だが、反日論には志の低いものも少なくない。右の李御寧の発言と同じ時期の日刊紙に掲載されたある国民作家(女性)の発言は次のようである。

〈私たちは歴史的に日本に対しては、つねに与え、奪われてきました。名前まで奪われ、受けたものは何一つありません。いま書いている『土地』第四部の時代背景は、三〇年代の日本が大陸侵略を拡大していた時ですが、当時の日本の国内事情と今の状況がとても似ているように思われます。急激な富の蓄積、失業問題、エロチックな文化など、それに多年の構想をアジア地域にくり広げようとするところまで、あまりにも似ています。日本人たちは与えることを知りません。この世に日本人ほどケチな人間はいません。与えることができないというのは、文化がないということです。ケチな者は美と真理探求に関心がありません。文化があるとすれば、造花のようなものです。彼らはカネ集めと小さなトランジスターを作ることしか知りません。日本に仏教が伝来してからだいぶん経ちますが、高僧や学僧がいませんね。彼らは芸術までも装飾品と思っております〉(朴景利の談話『東亜日報』一九八二年八月二十一日、田中明訳)

「この世に日本人ほどケチな人間はいません」とは過激であるが、解放後の韓国の公定史観から「ケチな日本人」のイメージまでの距離はいくばくもない。右の発言の背景にあるのは、世界を華夷弁別して眺める儒教文化圏的世界観で、韓国は「小中華」、日本は「夷狄」とされ、日本はかつてわが国からさまざまな先進文化を与えられたという恩を忘れ、授恵者である韓国を侵略するとともに、その謝罪を怠り、また韓国の近代化に充分な協力をしていないとされる。「忘恩背徳の国」という日本イメージは広く韓国人に共有された眺めであり、右のような発言は明らかにステレオタイプの発言であるが、にもかかわらずそれは歴史・道徳的な意味合いを持ち、したがって批判を受けることも少ないのである。続きは月刊正論12月号でお読みください

 ■鄭 大均(てい・たいきん) 首都大学東京教授