雑誌正論掲載論文

和気清麻呂と道鏡事件の現代的教訓

2019年03月25日 03:00

元衆議院議員・元外交官 村上政俊 月刊正論4月号

 天皇陛下の御譲位と皇太子殿下の御即位を間近に控え、筆者も一国民として、読者の皆様と同じく大きな喜びに包まれている。だが慶事の中でも忘れてはならないのが、新帝陛下と新たに皇嗣殿下となられる秋篠宮文仁親王殿下の次の世代の皇族方のうちで、皇位継承権を手にされておられるのが悠仁親王ただお一人であるという現実だ。

 悠仁親王殿下がお生まれになられたのが平成十八年九月だった。当時の状況を思い返してみると、小泉純一郎総理の私的諮問機関である皇室典範に関する有識者会議の報告書もあって、いわゆる女系をという声が高まりを見せ、男系での継承という皇統の本義に大きな危機が訪れようとしていた。この危機は新宮殿下のご誕生で去り、女系うんぬんという雑音も沈静化して、国体は無事に護られた。

 嵐が去って久しくなり、いまは皇位継承を巡っては波穏やかのように思えてしまう。今年は御代替わりを国民各層が一丸となって言祝ぐ記念すべき年であり、危機感はなおさら遠のきがちである。だが一見しての平時にこそ将来を見据えた手を打たねばならないというのが、危機管理の鉄則である。ましてや国体の根幹である皇位継承については、なおさらそうでなければならない。

 読者は気が早いと思われるかもしれないが、将来の皇位継承についても考えてみたい。新帝陛下のあとは、皇位継承権第一位の皇嗣殿下となられる文仁親王殿下が即位されることになる。兄帝から弟宮への継承は、江戸時代前期の後西天皇から霊元天皇への譲位以来ということになる。

 その後は、文仁親王殿下の男子である悠仁親王殿下にという道筋が、来年の立皇嗣の礼によって内外に示されることになる。皇室典範第二条に基づいたこの順に異を唱えるようなことは、文字通りの「謀反」であり、臣民としては厳に慎まなければならない。

 来月から悠仁親王殿下は晴れて中学に進学されるわけだが、将来妃殿下そして皇后陛下となられる方についての選定は、いまから進めておいても遅すぎるということはない。未来の天皇陛下を傍らからお支えになり、国民の範ともなる方が見付かれば理想的であり、これに勝る喜びはない。ご夫妻の間に生まれる第一男子が悠仁親王殿下のあとに皇位を継承され、第二男子が秋篠宮家を継ぎ、第三男子以下の弟宮は新たに宮家を立てられるということになろう。

 だがここで問いたいのは、悠仁親王の御代の後である。やはり万が一ということはあり得るのだ。杞憂に終わればそれに越したことはないが、いま私が描いたような道筋を辿らないかもしれない。具体的に申し上げれば、将来のご夫妻に男子が生まれないという事態も考えられる。そうなった時にジタバタしないように、打てる手は可能な限り前以て打っておくというのが、危機管理の要諦だろう。具体的には、旧皇族の流れを汲む方々に皇籍に復帰して頂くことについて、真剣に検討する必要がある。特に私と同世代の人々は、順調にいけば新帝陛下、皇嗣殿下の御代を経て、悠仁親王殿下の御代にもお仕えすることになるわけで、この議論に対する責任は殊更重いといえよう。

 皇室の危機に突き動かされるのは、何も現代人に限ったことではない。建武の中興を成し遂げた後醍醐天皇の忠臣である楠木正成の騎馬像は、皇居外苑からいまも陛下をお護りしている。同じく昭和十五年に皇紀二千六百年を紀念して建てられたのが、和気清麻呂像である。清麻呂は地方豪族から身を興し、女帝に取り入って皇位を奪おうとした臣道鏡の悪行を、身を以て阻んだ人物であり、だからこそ正しい皇位継承の守護者として皇居の鬼門(北東)を護る大役に抜擢された。

 まずは彼が躍動するまでの皇位継承についてみていきたい。それは現代にも通じる、まさに綱渡りの状況であった。

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■ 村上政俊氏 昭和58(1983)年、大阪市生まれ。東京大学法学部卒業後、外務省入省。北京、ロンドンでの外交官補を経て退官。平成24~26年衆議院議員。現在、同志社大学ロースクール嘱託講師、皇學館大学非常勤講師。共著に『アメリカ大統領の権限とその限界』(日本評論社)など。