雑誌正論掲載論文

都議選ポピュリズムと終わらない「戦後」

2017年08月05日 03:00

杏林大学名誉教授 田久保忠衛 月刊正論9月号

 先日、行われた東京都議選では自民党が歴史的な大敗を喫し、小池百合子都知事を支持する都民ファーストの会が躍進しましたが、いったい何が争点だったのか、最後までよく分かりませんでした。小池都知事は従来の都議会のあり方を改革すると言っていますが、何をどう改革するのか、その中身は明確ではありません。

 築地市場の豊洲移転問題にしても、豊洲に市場機能を完全に移すわけではなく築地も利用するのだということで、どうもスッキリしません。

 おそらく都民が考えたのは、都議会は従来、自民党に代表される旧態依然たる政治家が牛耳っていて、彼らが都民の目の届かないところで怪しげな政治を続けていた…ということで、それが今回の選挙結果につながったと理解されています。しかし本当にそうだったのでしょうか。

 振り返ってみると、豊洲の建物地下に空洞があって水がたまっているといっても、別のその水を飲料水に使うわけでもなく、健康被害が出るようなものではない、との報道は極めて少なかった。逆に民心をかき立てるような新聞やテレビの報道が横行し、それを週刊誌・月刊誌が輪をかけて騒ぎ立てて、最初に意図した人が想像もつかないほどの大音響になってしまった。これを仕掛けたのが小池都知事で、その結果生まれたのが有象無象の都議会議員だった、ということかと思います。今回、風に乗って当選した都議会議員は今後4年間、おそらく何もできずに終わり、そのときになって初めて真相が明らかになるのではないかと思っています。

 小池都知事はあれだけ大騒ぎをして、都議選の結果が出たとたんに都民ファーストの会代表の座を降りました。目標とする議席を得て、後は責任を負いたくないから退いたのか、いったい何だったのかと思わされます。今回の都議選ではいくつもの疑問符が残りましたが、あり得ない庶民の感情を大いにかき立ててその結果、自分が勢力を伸ばすというポピュリズムの典型的な例が、われわれの眼前で進行したのではないかと思います。ですので私は非常に空しい思いで、選挙結果を伝えるニュースを見ていました。

 自民党については選挙期間中、豊田真由子議員の暴言が明らかになったり、稲田朋美防衛相の失言もありました。そうして東京都政に限られる話が国政にまで引火してしまった。国際情勢全体の構図から見ると顕微鏡的な世界での話ではあるけれども、自民党は国政・都政を問わず、細かい神経を張り巡らすのに少し油断があったのは事実だろうと思います。

 とはいえ、日本以外の国でこうしたことが世論を大きく動かして国論が二分されるような大騒ぎになるかといえば、そんなことはあり得ません。先の通常国会をめぐっても、森友学園や加計学園などといった小さな問題をマスメディアが資金と時間を浪費して騒ぎ立てて、国民がそれに踊らされている、こんな国が日本以外にあるとは思えません。島国のせいですか。実に不思議な現象ですよ。

 先の通常国会では国内の顕微鏡的な議論ばかりで、例えば北朝鮮の相次ぐミサイル発射に象徴されるような東アジア情勢の激動については、ほとんど触れられませんでした。これはいったいなぜなのかといえば、日本の1500年余の歴史に関わることなのだといえます。

 日本の悠久の歴史の中で、われわれが外の状況に対応して国のあり方を決めたことは、過去に3回あります。1度目が大化の改新。2度目が、19世紀半ばのペリー来航から明治維新にかけての時期。そして敗戦による3度目の大変革があり、いわゆる戦後状態が今に至るも続いているわけです。

 近年、世界情勢は大きく変動して望遠鏡による観察がますます必要になっているにもかかわらず、われわれはこれに対応せず、国内のことのみにうつつを抜かしているのが日本の現状なのではないか、と思えてなりません。

 さて、話を戻して大化の改新とは何であったかというと、古代大和朝廷は隋、唐という大国の圧力に脅えていたわけです。隋の煬帝が朝鮮半島の高句麗を2度攻めて2回とも失敗したのですが、2回目の高句麗遠征には30万人の兵を動員しています。これで高句麗が敗れれば、朝鮮半島は隋のものになる。その場合、まだ国家としてきちんと定まっていなかった日本はいったいどうなってしまうのか、ということで当時の日本人は元号を設け、統治者としての天皇の地位を確立させ、隋と同じような律令国家を建設し中央集権国家にしなければ、と国の形成に全力を尽くしました。こうして日本の歴史の中で大きな意義のある改革が成し遂げられたのです。

 2番目の明治維新ですが、このとき日本は欧米列強に食い荒らされる危険がありました。実際にフランスが幕府を支援し、イギリスは薩摩・長州を支援して、日本は二分されるかもしれない情勢で、その上にロシアもアメリカも虎視眈々と狙っており、下手をすれば日本は外国の植民地になりかねませんでした。しかし、当時の日本人は明治天皇を中心に、伊藤博文や山県有朋ら元老が日本の国の立ち位置をしっかり見定めて改革を進めた、これが明治維新の成功の大きな要因です。政権につかなかったが西郷隆盛、橋本左内など国際情勢の知識には驚くべきものがあった。ペリーが来航した1853年から3年にわたってクリミア戦争が行われたことが日本にとっては大きかった。また1861年にはアメリカで南北戦争が起きています。欧米列強がそれらの戦争に専念せざるを得ない状況の中で、日本は幸いにも明治維新という近代国家へのスタートを切ることができたのです。

 そして3番目の変革が敗戦に伴う戦後の改革です。昨年の7月、私は日本外国特派員協会で記者会見をしたのですが、それは日本のことをよく理解していない外国人記者がいて、あまりに変な日本論を展開するので、協会からの要望もあって会見を開いたのです。

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■ 田久保忠衛氏 昭和8年、千葉県生まれ。時事通信社でワシントン支局長、外信部長などを歴任。専門は国際政治。著書に『戦略家ニクソン』など多数。平成8年、正論大賞受賞。国家基本問題研究所副理事長、日本会議会長を務める。